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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第26回〜

 

〜連載第26回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

世界を俯瞰して見る視点を、私はあまり好まない。

どうしても上から目線になって、個々人の葛藤や痛みに対して鈍感になるからだ。

昔はそれを「鳥の視点」と呼んでいた。

そして、自分は決して「鳥の視点」ではなく、地上で呻吟する「犬の視点」で語り続けたいと考えていた。

だが、年を取ると人は自然に俗界から浮遊し、鳥の視点で世界を眺めるようになってしまうのかもしれない。

 

老人介護施設で働く友人が言っていたが、老人たちは痛みや寒暖の感覚が非常に鈍いらしい。

「そんな薄着で大丈夫? 寒くない?」と尋ねても「寒くない」と答えるが、後できっちり風邪を引いてしまうところをみると、おそらく寒かったはずなのだという。

ただ、本人の感覚が鈍っているため、寒さを感じないまま薄着で過ごしてしまうのだ。

おそらく脳の劣化によって、痛みや寒暖の情報伝達が極端に遅くなっているのだろう。

苦痛や寒暖は己の身を守るための大切な情報だが、それすら鈍るということは、すでに脳も身体も「死の準備」に入っているのだとしか思えない。

もはや身を守る必要すらないのだ。

どうせ、もうすぐ死んで、何も感じなくなるのだから。

 

まぁ、苦痛なんてあまり感じたくないので、鈍感になるのはやぶさかではないが、問題は自分の痛みだけでなく他者の痛みにも鈍感になることだ。

己の身体感覚が鈍くなれば、他人の痛みへの共感力や想像力はなおさら鈍麻しているはずだろう。

年老いて悟りの境地じみた「鳥の視点」を獲得するのは、本人的には楽ではあるものの、「犬の視点」を失うことでもあるわけだ。

私は、それが恐ろしい。

私がこれまで延々と書き続けてきた「痛み」や「葛藤」や「苦悩」といったものが、鳥の視点からはすべて「ちっぽけなこと」になってしまう。

だが、その「ちっぽけ」な痛みこそが生きる痛みであり、ひとりひとりにとって重要な痛みではないか。

それを忘れて大きな視点に同化することで小さき者たちを嗤う行為は、私がもっとも忌み嫌ってきたものである。

 

私は、死ぬまで「犬の視点」を失うまいと思っていた。

だが今、それは確実に失われつつある。

病床に伏したまま、檻から解き放たれた鳥のごとく魂を飛翔させ、全世界を悠然と俯瞰して見渡す。

その爽快な気持ちは筆舌に尽くしがたいが、同時に、それは「人間でなくなる」ことを意味しているのだ。

ああ、私はこんな形で「人間であること」を手放したくない。

確かに楽だし気持ちいいけど、物書きとしての私はこのような罠に落ちたら終わりである。

私はね、年取って出家とかして他人に説教するような物書きにはなりたくないんだ。

悟りなんか開いた気になってはいけない。

もっともっと俗世にまみれて悪足掻きし、犬ならではの痛みを味わうべきなのに、身体が不自由になって俗世に交わることもままならなくなった。

ねぇ、これさ、いわば「強制出家」(笑)?

 

恋なんかしたくないのに、苦しい恋をしてしまう。

人を憎んだりなんかしたくないのに、憎しみや恨みつらみが押し寄せる。

そんな自分の人生を、私はずっと、残酷で底意地の悪い神から難題を吹っかけられてるように感じていた。

だが、その神がついに慈悲の心を発動させて、私を自意識と肉体の檻から、そして俗世のしがらみから解き放とうとしている。

歩けなくなったのも、左手が動かなくなってキーボード打つのもひと苦労になったのも、神が私に「もう物書きは引退しな」と言ってるかのようだ。

 

確かに、物書きをやめたら、私は心おきなく似非悟りの説教ババアになれるだろう。

いや、物書きをやめなくても、そのような説教ババアの本を好む読者はいるし、需要がないわけではないのもわかっている。

ただ、私が自分にそれを良しとしないだけだ。

そんなラクしちゃっていいの?

探し求めていた答がもう少し先にあるかもしれないのに、ここでフェイクの匂いのプンプンする悟りの境地なんかに行っちゃっていいの?

いいわけないだろ!!!

 

生まれたことに意味がないのなら、自分の人生の意味は自分でつけてみせる、と、かつての私は豪語した。

だから、ここで安易に鳥になってはいけないのだ。

プロメテウスのように地上に縛りつけられて、永遠に内臓を抉られなければ、私の今までの人生に意味がなくなる。

自分の生まれてきた意味を、自ら放棄することになるのだ。

どうせ私が死んだら誰の記憶にも残らない人生だが、それでも生きている限り、それは私のものであり続けるのだ。

私には、自分に対する責任がある。

自分のために、人生に意味を付与する義務がある。

私にとっては、それが「生きる」ということなのだ。

この世に意味もなく生まれてしまった自分を「意味あるもの」として回収することが。

 

己の生きた痕跡を残したい、と、人は願う。

歴史に名を刻むとか、誰かの心に生き続けるとか、そういう形で。

だが私は、自分の死後のこの世界に興味はない。

みんなが忘れてしまっても、とっくに死んでる私は痛くも痒くもないだろう。

私が私を刻みたいのは、己自身の心にだ。

私の心は私の死とともに雲散霧消して「無」となるだろうが、それは全然構わない。

ただ、生きている以上、私は心を持っている。

その「心」を通してしか、私は世界に触れられない。

だから、私は鳥になってはならないのだ。

これからもずっとずっと、死ぬまで人間であり続けなければならないのだ。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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