徳島県徳島市国府町で起こった、「大御和神社」の土地売却問題。
前編では「大御和神社を守る会」メンバーそれぞれの想いを中心にお伝えしました。
後半では、大御和神社の宮司である河野誉嗣氏にインタビューした内容をお届けします。
そこで明らかになったのは、地域社会の変貌による神社の窮状!!
全国8万の神社に共通する、迫り来る危機とは?
【宮司に直撃。なぜ歴史ある神社の土地を売るのか?】
大御和神社の土地を売ることになった理由について伺いたいと思います
古い神社ですので、20年ぐらい前から傷みの激しい危険場所が問題になりました。
地域の皆様には、その頃から建て替えの話をさせていただきました。
ですが、お金が集まらず、話が建ち切れになり、話が進まないうち、事故が起きてしまったことが前提にあります。
これから神社をどうやって維持していけばいいのかと考えた時の案の一つが、神社の縮小化です。
寂しいですが、神社を縮小すれば維持費も軽くなるので残していけるのではないかと考えました。
現在、法人登記している神社は全国で8万社あるのですが、あと20年ぐらいで3万社ぐらいは無くなるのではないかといわれています。
徳島県でいうと1300もの神社があり、そのうち100社が赤字で活動ができなくなっています。
このまま潰れていくのか、神社会全体としても答えがない状態です。
その話をしたうえで、総代さんと相談をして神社の土地の売却を決めました。
ほとんどの日本人が神社の財政状況に対して関心がないということですよね
関心がないと言うか、神社は永遠にずっとあるものだと潜在的に思っている方が多いという印象です。
国、県、市から補助が出ていると思っている人が多いですね。
実際に神社を経済的に支えているのは氏子さんですね。
氏子さんからの収入では神社を維持するのが難しいのでしょうか?
大御和神社は7地区の氏子さんから集めていました。
その内の一か所が「寄進するのは、もうやめると」いう連絡をいただき、他の一箇所も以前の半分の金額しか集まらなくなっています。
こうした補填に予備費を足して何とかやり繰りしてきた背景もあります。
これだけ財政的にひっ迫している状況を氏子さんたちに伝えているのでしょうか?
お祭りや地域の方々と交流するイベントなどで、財政的に厳しいことは伝えています。
それに対して、氏子さんたちから「地域で修繕費を負担するのは厳しい」という言葉が返ってくるので、状況は御理解いただいているはずです。
ただ、財政面の解決に向けた前向きな話し合いができていない現状です。
大御和神社が財政的に立ち行かなくなり、氏子さんたちも今以上の金銭的負担が厳しくなっていると。
そのような状況の中、選択肢の一つとして土地の売却が浮上したということですね。
そうです。
うちの場合は、資産価値があったのでそれをお金に換えて立て直そうと思いました。
1億2千万円で売却し、そのうち7千万円で400坪の神社を整備する。
そこから先は、きちんと話したことがなかったのですが、中央墓地を運営をしていこうと思っています。
今の時代の人は動きが流動的で一定のところに住まないという特性があります。
東京や海外に拠点を移す方などは、お墓を維持するのが難しくなってきます。
それを集合墓地にして私たちの方で管理する。
お祀りをしたら、案内を出してあげる。
こういうことが、これからの時代には求められるのではないかと考えています。
集合墓地から出た収益を神社に回して、氏子さんたちから集めていた負担も段階的に減らしていこうとしていました。
【守る会のメンバーが持つ疑問を直撃】
昨日、守る会の人たちにお話を伺ってきたので、その時に出た疑問点をお聞きしたいと思います。
氏子の方々にとって今回の土地売却は寝耳に水。
宮司さんの代替えが今年の2月、就任して3か月経った5月に土地売却の話になり、氏子としては早急すぎるとおっしゃっていました。
その辺りについてはどうでしょうか?
神社の組織には役人会というのがあり、各地区には代表者である総代がそれぞれいます。
私が話をしているのは総代です。
総代とは去年の6月から、今後の神社について話し合っていました。
売却の話が出たのもその頃で、総代からは各地区の氏子さんの総意としては賛成だったので、売却を決意したという背景があります。
もちろん、100%の同意はないことは理解しています。
では、一部売却と言っておきながら、実際は80%の土地が売られる。
「これでは、神社のほとんどが売却されるのではないか?」と疑問を持たれていました。
そうですね。
現在2100坪あるものを400坪にするので、だいぶ縮小することになります。
実家の近くに神社は500坪なのですが、お祭りで屋台も出していますし、4台ぐらいのお神輿も出しています。
行事を行うことに関しては維持できそうだと思いました。
あとは坪単価、金額の問題ですね。
先ほど話をした事業と建て替えにかかる費用から逆算して、売却する土地の広さを考えました。
財政的な問題だということはわかりました。
長年神職についているので、色々な問題を認識されていると思いますが、神社を維持するためにはどうすることが必要だと思いますか?
そうですね。
神社とか寺とか、助けてくれとすぐに声を上げられるシステムがあるといいですね。
クラウドファンディングも勧められますが、神主は時間的余裕が無いので、一人で実行するのは難しいと思います。
というのも、神主を専業でやっている人は少なく、他の仕事と掛け持ちなのです。土日だけ神主をするという人もいます。
自分の生計を立てるための仕事をしている中で、家に帰ってから神社のことを・・・というのは難しいものです。
例えばですが、寄付金を集める活動を手伝ってもらえるようなサイトがあればいいと思いますね。
【神社を維持していくうえで必要な経費】
財政難から土地の売却を考えたとのことですが、修繕費やこれまでのマイナスを賄ったうえでスタートする場合、どのくらいの費用が必要なのでしょうか?
神社を10年前に建て替えようとした時に見積もりを取ったのですが、その金額は1億3千万円でした。
但しそのお金で、拝殿、社務所を新築。その他、修繕が必要な個所を修繕します。ただこれだけでは何もできないので、毎年300万円は必要です。
年間300万円が必要というですが、現実はこの半分しかお金が集まっていません。
生活費も捻出できていませんから、生活を維持できませんね。
そうですね。
さらに理想を言っていいなら、給料も出ると嬉しいですね。
私の場合は他にも神社があるので、2社からは10万ぐらいはもらっています。
それでも生活を賄うほどではありません。
こういったリアルなお金のことというのは、宮司さんからは言いづらいですよね
実際そういう教育を受けていますね。
お金の事を言ってはいけないと。
しかし神社の維持が難しくなっている以上、氏子さんに理解いただくことも大切だと思います。
神社も収支がある以上会社と同じですから
そこで問題になってくるのが、それだけ神社に世話になっていないという意見も出てくるということです。
お寺さんの場合は、まだ地域の人たちとのつながりはありますが、神社の場合は少ないのです。
昔、神社はコミュニティー+居酒屋みたいなところがありました。
朝までお酒を酌み交わし、地域の決め事を行っていた時代があったのですが、今はそういったことはしていません。
そういう意味でも、神社に対しての価値観を作っていかないと、神主への給料とはならないと思っています。
【財政問題が片付けば神社の土地売却撤回はあり得るのか?】
今は土地を売却することになっていますが、お金が集まる状況になったら話を白紙に戻すということはあり得ますか?
それはあります。
ただ、時間があまりないというのはありますけど。
今回の問題で驚いたのが、「私は大御和神社の崇敬者です」という人たちが地域外から、たくさん出てきたということです。
これまで氏神さんという認識でいましたが、考え方をもう少し柔軟にしてもいいのかもしれないと思いました。
今回のことで、神社を維持するにはお金がかかるということを、ネット上で問題定義できたことに関しては、よかった点だと思っています。
私と総代たちも土地売却という案は苦肉の策なので、できるなら残したいですしね。
『守る会』の人たちと話をしていて感じたのですが、彼らは宮司さんと対立したいわけではなく、本当に神社を守りたいと思っている人たちだと思います
えぇ、それは私も、そう思っています。
守る会の人たちの中にも色々なタイプの方がいるのですが、前向きに話しをされる方とは何度か話をしています。
売却の話をした後で、何度かは氏子さんたちと話をする機会を持つ必要があると思っていましたので、今がその時間だと思っています。
守る会の人たちは、チラシを作ったり、Twitterで発信したり、ホームページを作って5000人から署名を集めたという話も聞きました。
それってすごいパワーですよね。
彼らが持っているパワーを対立に使うのではなく、神社存続のために使えたらすごくいいと思います。
そうですね。
今回は、今はやりの炎上商法みたいになっていますけどね(笑)
ですが今回のことは、全国に問題定義ができましたし、神社本庁に対しても本当に困っている神社があるということを伝えられるいい機会になりました。
神社本庁のせいにしてはいけないとは思いますが、全国8万社のうち3万社が減ってしまうという未来が見えていることも真剣に考えてほしいと思っています。
ポジティブな見方をすれば、大御和神社にとって地域が一丸となる契機かもしれません。
ただ氏子制度については見なおす必要があるかと思いますが
それは、そうだと思います。
私も神職をさせてもらって20年が過ぎましたが、どうしても固定概念で氏子さんを一番にという考えが抜けません。
それが悪いことではないのですが、氏子さん以外にも崇敬者がいるということを忘れてはいけないと思いました。
今回のことで大御和神社をめぐる様々な問題点を明らかにできてよかったと思います。
宮司さんが言いづらかったことを言えるいい機会だと思います
私もそう思っています。
そんな話を、守る会の人たちとも実は話しているのですよ。
守る会の中にも、宮司さんの味方が少しずつ増えてきているということですね
えぇ、とても嬉しいことです。
可能性が途絶えたと思っていたので。
守る会の人から全国から手紙が結構来るという話を聞きました。
中にはカンパをすると言っている人もいるそうですよね
はい。これまで各地区の代表である総代という役割も機能しなくなってきていたのには気づいていました。
氏子制度自体も限界を迎えています。
今、神社は公の祭をするもの、地域の安全・幸せを願うというのが当たり前だったのですが、これからは地域と神社ではなく、個人と神社の関係になりつつあるように感じています。
現在財政的に難しくなっている神社は多いのでしょうか?
ただこれは、大御和神社だけの問題ではないんですよ。
近くに、大御和神社よりも歴史の古い神社があるのですが、そこも財政的に立ち行かなくなっている状態です。
社格は大御和神社よりも高いので、今後が心配です。
新しい氏子制度と言いますか、時代に即したサポートをしてくれる人が求められているということですね?
はい。
それプラス、その人たちが動きやすいネット上のシステムがあればいいなと思っています。
修繕するのにはどうしてもお金が必要です。
若い世代と一緒に頑張っていける道を作っていけたらと思っています。
現在の氏子さんには集金や祭りなど、地域に根差した活動をしていただく。
若い世代には、インバウンドではないですけど、地域外の人たちから募金を集めたり、企業の参拝を増やしたりしていけば、神社の運営もできそうですね。
はい。
それが神社会全体に広がっていくのが一番理想ですね。
全ての神社が同じ手法で何とかなるとは思っていないので、難しいところはありますが。
ただ、全部で8万社ある神社が少しでも多く生き残っていける仕組み作りができればいいなと思っています。
今回は前向きなお話、ありがとうございました。
すばらしい神社だと思いますし、これからも応援させてください
そう言って頂けると嬉しいです。
ありがとうございました。
地域社会が変貌する中、共同体のシンボルとしての神社の維持が難しくなっています。
選択の自由と多様化が進む中、地域社会における神社の存在意義が問われているのではないでしょうか?
長い歴史の中で地域住民に守られ、受け継がれてきた神社の重要性について、もう一度郷土史家である林博章氏に話を伺いました。
ずばり、神社とは何なのでしょうか?
神社の社(やしろ)は、元々「社(もり)」と読んでいました。
これは神社の原点が「森」だからです。神社の森は、「鎮守の森」とか「社叢」と呼ばれます。
森は生態系を守る役目があります。
その大事な森を守るために、森を破壊しないようにという意味も込め、森の一番大事なところにお祈りする場所を設置したのが、神社の始まりだったのではないかと言われています。
神社は、稲作農耕から始まる日本のコミュニティ(地域社会)の原点でもありますし、最近は忘れがちではありますが自然に感謝する場所でもあります。
昔は稲作社会でしたので、春には豊穣を祈り、秋には収穫をした農作物を里人が食べる前に奉納して感謝をささげる……。
人と自然とを繋げる場所でもありました。
さらに神社は、自然災害から人間を守る場所でもあります。
古い神社は洪水が起こっても浸水しない場所にあり、神社に逃げ込めば助かるということです。
東日本大震災でお分かりのように、古い神社までは津波は来ていません。
また、神社を囲う鎮守の森には楠などの照葉樹がたくさんあり、火を抑える役割を担っています。
神社の森が火を防いだことは阪神淡路大震災でも語り継がれています。
また神社は、人の心の拠り所にもなっています。
人間が切羽詰まった時には、すがる場所でもあります。
お祭りや七五三などを含め、地域の安寧や繁栄、子孫繁栄を祈願し、地域の一体感を育む場所としても神社は作られました。
さらに大御和神社を地理的に見れば、水が湧き出るところに置かれています。
阿波国府を守る人々が生活をするのに重要な場所でもあったとも言えるでしょう。
古代から現代にいたるまで、大御和神社が守られてきた理由は何でしょうか?
大御和神社は阿波国府の総鎮守なので、古代阿波国の中枢にいる人たちが、阿波国に住む人々の幸せを願い、自然の恵みや豊穣に感謝を捧げる神聖なる場所でした。
また、大御和神社は、国府に住む人々を自然災害から守る場所であり、心の拠り所でもあり、さらに水を確保する場所でもあったのです。
話は変わりますが、奈良市の春日大社も同じです。
春日大社の周囲には原生林が残されることで水源が守られ、平城京に住む人々に水が供給できたのです。
森が水を貯めてくれるのです。
神社は、私たちの目に見えないけれど、貴重な生命圏を守る場所としての価値、地域社会の絆を育む場所としての価値と機能をもっています。
私たち現代日本人は、目に見えるものを全てだと思い、その目に見えない価値を見失っているのではないでしょうか。
神社の価値というのは、お金で換算できるようなものではないのです。
見えるものだけに目を奪われ、その価値と意義に気づかなくなっているのが今の日本人なのではないでしょうか。
昔の人たちは、誰かに教えられることがなくても、神社が置かれた場所が、生きるために重要な場所だと経験的に感覚的に分かっていたのではないでしょうか。
長年にわたる先人からの知恵・思想が、今の日本人に伝わらなくなってしまっている。
さらに、神社と鎮守の森(社叢)を通じて、私たちが目指す「持続可能な社会」、いまはやりの言葉ですがSDGsを語ることが重要だと思います。
今回の大御和神社の土地売却で問題になったように、神社は一体誰のものなのでしょうか?
神社は、稲作文化から始まった日本社会が、日本最初の地域社会(コミュニティ)を形成した場所です。
神社は本来、誰の所有物でもないと思います。
神社により、私たちは守られているのです(宗教的意味ではなく)。
その意義は、宮司が考えるとか、氏子が考えるものではなく、地域社会のみんなで考えなければならないことだと思います。
本来は、地域社会を構成する人々が、「持続可能な未来社会」を考える場所であると思います。
去年も今年も日本は水害で多くの被害が出て深刻な問題となっています。
洪水被害が多発しているのは、地球温暖化や気候変動だけのせいではないと思います。
杉などの植林が多く、山自体の砂漠化が進み、山を管理する人々もほとんどいなくなり、山そのものの保水力が落ちているのも一つの要因ではないでしょうか。
山を守る「山の神」信仰自体も、急速に薄れてきているのを感じます。
そのことが、国土の荒廃につながっているのではないでしょうか?
さらに鎮守の森(社叢)の重要性にも目を向けなければなりません。
近年、神社の社殿は大事にされても、神社の巨樹を人間の都合で伐採してしまう光景をよく見かけます。
繰り返しますが、神社の本体は「森」(モリ)なのです。神社は「社」(モリ)を守る思想であり文化なのです。
メソポタミア文明、インダス文明、イースター島もそうですが、森を破壊した文明は全て滅びているのです。
つまり森がなくなれば、森を守るという思想がなくなれば文明は滅びるのです。
こういった環境面・文明観的側面からも、もう一度神社の重要性を認識すべきではないでしょうか。
取材から数日経った8月2日に、宮司と「守る会」・「氏子の会」の間で話し合いが実現しました。
その際、大御和神社の土地売却については、白紙撤回。
地域住民と宮司の関係修復に向け、新たな一歩を踏み出す形になりました。
しかし、神社を維持するための財政的課題と地域における神社の存在意義については、まだまだ課題が残ります。
全国に8万社存在する神社のうち、3万社が維持できないと言われる現在、その解決方法は我々ひとりひとりに委ねられてられているのではないでしょうか。
編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
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