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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第25回〜

 

〜連載第25回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

「旅に病んで、夢は枯れ野を駆け巡る」

 

松尾芭蕉の有名な辞世の句である。

まぁ、辞世の句と言っても、本人が死を意識していたかどうかはわからない。

ただ病気で臥せっている鬱々たる心情を詠んだだけだったが、結果的にこれが生前最後の句となったのかもしれない。

 

年老いて病も得て、自分が寝込みがちになってくると、この芭蕉の気持ちが染み入るようにわかる。

自由を奪われた肉体の檻を捨てて、心は自由自在に駆け出していく。

かつて見た光景へ、あるいは夢で何度も見たあの場所に。

私の心は、どこに行きたがっているのだろう?

思うように身体が動かなくなったことは私にとっては不幸であるが、もしかすると私の心にとっては待ちに待った絶好の機会なのかもしれない。

もはや、この肉体に囚われる必要はないのだから。

昔からずっと、この「私」というアイデンティティの基礎を成すこの肉体は、私の心にとって不自由極まりない自意識の牢獄だったのだから。

 

女の肉体で生まれたから、私は「女」として生きることになった。

「女である」ことの快楽も苦悩も含めて、それは私のアイデンティティの大部分を占めていた。

「女であること」に傷つき、「女であること」に誇りを持ち、「女であること」を憎みながらも愛していた。

だが、「女である」という自意識は、ひとつの牢獄だったのだ。

女だからという理由で何かを諦めたこともないし、女だから損をしたという自覚もたいしてないが(そういう意味では自由な女だったかもしれない)、それでも「女であること」は私の価値観や生き方に大きな影響を与えた。

閉経して生殖機能を失っても、私は女としての商品価値にしがみつき、女としての矜持を保とうと必死だった。

何故か? 女としての価値を失ったら、自分が何者でもなくなってしまう気がしたからだ。

 

だが、そもそも「女である」という根拠は、身体的特徴に過ぎない。

歩行も困難になった今となっては、外見や生殖機能といった女としての身体的特徴よりも、より深刻な欠陥に直面してしまった。

そこにさらに老いが拍車をかけ、寝たり起きたりといった普通の生活の所作もしんどくなってきたところで、ようやく私は「女」を手放す覚悟ができたのだ。

すると、私の心は女であるという自意識の檻から解放され、じつに軽やかに飛翔し始めたのである。

 

男であること、女であることにこだわり続ける人々を俯瞰し、何者でもない自分を楽しむ。

性別も人種も氏育ちも、すべてが取るに足らないささやかな差異に見えてくる。

だが、その些細な相違こそがひとりひとりのアイデンティティの拠り所であることも承知しているから、決して軽視するつもりはない。

ただ、その些細な相違が争いや偏見を生むことに、何か殺伐とした気分を抱くだけだ。

我々はたいして変わりがないからこそ、ささやかな差異にしがみつく。

そうでないと、自分が何者かわからなくなってしまうからだ。

他者の群れに呑み込まれ埋没して、己を見失ってしまう恐怖。

そのくせ、他者から大きく外れることにも疎外感を抱き、孤独を恐れる。

人の輪の中心に位置して、なおかつ他者より突出した存在でありたいという、ひどくナルシスティックな欲望に、我々は死ぬまで翻弄される。

死んだら、本当に何者でもなくなるのに。

そして、それこそが我々の唯一の救いかもしれないというのに。

 

だがまあ、それは年を取ってこそ、そして死というものが身近になってこそ、獲得できる視点なのだろう。

人生が終わりに近づくと、心は肉体から、そして肉体に縛りつけられた自意識から解放され、自由に枯野を駆け巡る。

そこではもう、私は人ですらないのかもしれない。

 

病床で芭蕉がどんな夢を見ていたのか、私にはわからない。

彼がただひたすら旅を続けていた理由も知らない。

松尾芭蕉はスパイだったという説もあるが、それが嘘だろうと本当だろうと、なんとも味気ない仮説だと思う。

彼はおそらく自分から逃げたかったのではないか。

他者とのしがらみや、そこから生じる己のエゴや野望から逃げたくて、旅を続けていたのではないか。

だからこそ、病床に伏して初めて、彼は自由と解放を心ゆくまで味わったのだ。

彼の旅の荷物は、「自分自身」だったのである。

 

「夏草や兵どもが夢の跡」

 

我々の人生はうたた寝の間に見る束の間の夢のようなものだ、と、この頃しみじみ思う。

私の人生を支配してきた愛憎も葛藤も、まるで遠い空の彼方にたなびく薄雲のように淡く溶けて、生々しい実感を失ってしまった。

忘れることで、人は解放される。

流した血の痕跡も、傷の痛みも、涙の味も、すべて生い茂る夏草に覆われて消えてしまう。

戦地を埋め尽くす青々とした草を眺めながら、芭蕉は己の人生もこの草の下に埋めてしまいたいと思ったのではないか。

死期を目前にした芭蕉が夢の中で駆けた枯野は、かつて彼が眺めたあの夏草の戦場跡だったのかもしれない。

 

そう、その夏草はもう枯れていたのだけどね。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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