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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第60回〜

 

 

〜連載第60回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

我々が愛を求めるのは、我々が生来的に孤独であるからだ。

そして我々が孤独である理由は、「私」がこの世で唯一無二の存在であるからだ。

この世に私が「私」と呼べる存在はひとりしかいない。

その事実が我々に誇りと自負心を持たせ、同時に孤独と絶望を味わわせる。

 

誇りと自負心を捨てれば、孤独からは逃れられるかもしれない。

己を捨てて、ただただ他者に従い迎合し、そんな自分を恥じることもしない。

それどころか、自分を支配する相手に畏敬や憧憬の念さえ抱く。

カルトや独裁政権などは、そのような人間の心理を基盤に成り立っている。

 

一方、他者への迎合を断固として拒否し、誇りと自負心こそをアイデンティティの基盤に置くと、どうなるか。

その場合、必然的に味わうこととなる孤独と絶望を受け容れ、それに耐えていくしかないのであるが、もちろん多くの人間には耐えられない。

ゆえに自分を理解しない他者たちを憎み、見下し、支配しようとする。

世界中の他者が自分の価値観を共有すれば、もはや他者は自分の一部となり、そこに唯我独尊のユートピアが生まれると考えるのだ。

カルトの教祖や独裁者たちは、そのような心理から生まれてくる。

 

カルト教祖や独裁者に共通するのは、肥大したナルシシズムと誇大妄想的な万能感だ。

それは以前にも指摘したとおり、連続殺人鬼や冷徹な事業家たちにも当てはまる。

他者を人間とみなさず、自分の一部あるいは自分の道具と考えている。

彼ら彼女らはたやすく自尊心をナルシシズムへと肥大させ、風船のようにパンパンに膨らんだ架空の自己像に酔いしれるが、言うまでもなくそんなものは虚像に過ぎないので、あっという間に崩壊して脆弱な自我が露わになり、例外なく被害妄想や疑心暗鬼の虜となって破滅する。

教義や思想は違えども、歩む道が滑稽なほど似通っているのは、彼ら彼女らが同じ病に罹っているからなのだ。

 

唯一無二の私という意識から生まれる自負心を損なうことなく、しかも決してそれを誇大我へと肥大させないためには、我々はどうすべきなのか。

孤独を受け容れるしかないのである。

私がこの世で唯一無二の存在であるように、他者もまたこの世で唯一無二の存在であり、その世界を決して支配することも侵害することもできないのだ。

我々の世界は時に混じり合うこともあるが、決して同じ世界を共有することはできない。

私の世界には、私しか住んでいない。

その辛い事実を認めなくては、自尊心を捨てて卑屈に生きるか、ナルシシズムの奴隷になるか、その二択しか我々にはないのである。

 

だが、この「孤独を受け容れる」という認識は、ただただ苦しいだけのものではない。

その認識のおかげで、我々は知ることができるからだ。

孤独なのは私だけはなく、他者もみな孤独なのだ、と。

我々を取り巻く他者たちも、みんな、それぞれに「この世で唯一無二」の貴重な存在であり、ゆえにそれぞれの誇りと自負心は尊重せねばならないのだ、と。

 

「人権」という言葉を叫びながら、じつのところ人権を理解していない人々は少なからずいるが、彼ら彼女らはこの「孤独」を理解していないのだ。

互いの人権を尊重し、もちろん自分の人権も尊重していただいたら、人類はみんな理解し合えて世界はひとつにまとまると思っている。

そんなわけないだろう。

他者の人権を尊重するには、まず人類がそれぞれ別個の存在で決して繋がり合えないことを認めなければならないのだから。

「みんながひとつに」なんて、寝ぼけたことを言うんじゃないよ!

「みんながひとつに」は、個々の人権を無視した同調圧力だということに、何故気づかないのか。

 

この「我々は孤独であり、だからこそ尊い存在だ」という理屈を受け容れた先に、初めて「人権」も「愛」も存在し得る。

夫が私に示す「愛」は、本人の自己満足的なナルシシズムの産物なのかもしれないが、その一方で、もしかしたら彼が「孤独」を知っているからなのではないか、と思うことがある。

彼は物心ついた時からゲイであり、そのことをし家族や友人に隠し続けて生きてきた。

日本に来てからは知り合いがゲイばかりなので(笑)、ものすごく開き直ってオネエ全開で生きてるが、おそらく故国での二十数年間はいたって孤独であったろう。

だが、彼はその孤独を受け容れざるを得なかった。

何故なら、ゲイをやめることはできなかったからだ。

彼は家族と仲が良く、今でも密に連絡を取り合い互いに助け合っているが、家族たちは誰ひとり彼がゲイであることを知らないし、おそらく理解もしていない。

彼の根幹を知らないままに彼を愛しているのであるが、その愛に包まれながらも彼はおそらくずっと孤独であったことだろう。

 

だが、その孤独が、彼を形作った。

彼は他者の自由を尊重し、決して指図したり裁いたり束縛したりしない。

それは彼が、自分にとっても他者にとっても「自由であること」が尊厳だと思っているからだ。

日本に来て自分がゲイであることを自由に表現できた喜びと誇りを、彼は忘れていない。

だから、他者が何者であろうと、自由に自己表現する権利を尊重するのだ。

それがたとえ私のような反社会的で協調性がなくてわがまま放題の人間であっても、だ。

 

孤独の先に愛と尊厳は存在し、人権もそこで初めて理解し得る概念となる。

それが、今の私の考えである。

間違っているかもしれないが、これが、試行錯誤の果てにようやくたどり着いた私の「世界観」であり「人間観」なのである。

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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