前回に引き続き、連載第4回目の今回も、西寺駅長にジョージ・マイケルの『FAITH』について語っていただきます。
80年代に青春を過ごした方で、ワム!やジョージの楽曲を一曲も知らない、という方は少ないと思います。
なんといっても1984年、ジョージがわずか21歳の時に完成させリリースした「ラスト・クリスマス」は、現在まで世界で最も愛されたクリスマス・ソングのひとつですからね。
しかし、皮肉なことに、1963年6月生まれの彼は、2016年12月25日、なんとクリスマスの朝に53歳の若さで突然亡くなってしまいました。
オフィシャル・ライナーノーツを担当するなど、日本を代表する「ジョージ・マイケル」フリーク。
西寺駅長ならではの、新たな解釈をお楽しみ下さい。
ワム!解散後、ジョージは、シングル、アルバム、グラミー賞獲得の三冠王に輝いていますね。
ワム!の頃のジョージ・マイケルには、アイドルのようにキラキラしたムードと、神経質でナーヴァスなイメージが同居していました。
しかし、『FAITH』での彼は、ともかくマッチョ。
ワム!後期から急にトレードマークとした無精髭、革ジャンとジーンズを履いてサングラスをかけ、常に仏頂面。
これがアメリカ人の求めるタフなイメージにマッチしたんですよね。
その頃には、デュラン・デュランやカルチャー・クラブのような派手なメイクをした、両性具有的なイメージのスター・バンドは人気が凋落していました。
「アイディア勝負」が武器だったイギリスのバンドたちは、ドラッグや、メンバーの演奏力の問題などによって低迷期に入っていたんです。
『FAITH』は、ジョージ・マイケルにとって、命がけで作った作品でした。
ジョージのワム!での相棒は、アンドリュー・リッジリー。
彼はそれまでの音楽界に存在しなかった、本当に音楽的な貢献という意味では何もしない(笑)ミュージシャンでした。
とは言え、流石にレコーディングには参加してるんですよね?
後半はしてなかったと思います。
バーで飲んで、どんちゃん騒ぎしてマスコミのターゲットになってました(笑)。
ただし、いつもポジティヴで天真爛漫に笑い、たいして弾かないギターを持ってステージを駆け巡るアンドリューの存在こそが「アイドル」としてのワム!のシンボルであり、ある種の「発明」だったんです。
陽気なアンドリューがいなければワム!の成功は、100パーセントありません。
ジョージは、ソロになってからのキャラクターが示すように基本的にユーモラスでチャーミングな人なんですが、根っからの芸術家肌の人間ですから。
その当時は、昔ながらの「バンド」「デュエット」という役割分担に皆がしばられていました。
例えば、90年代以降はダンサーが正式メンバーとして音楽グループに存在するのは普通のことですよね?
日本で言えば、ゴールデンボンバーは、鬼龍院翔さんのソロではなく、あの4人だからヒットし、愛されていると皆が理解していると思います。
ダンサーのいない、シンガーだけのEXILEなど想像もつきません。
しかし、当時はレコーディングに参加せず、主にパフォーマーだったアンドリューは「無能」の烙印を押され、何故か嘲笑されました。
その影響で音楽評論家や、一般リスナーは作詞・作曲・プロデュースをひとり手がけるジョージにさえも、プロ音楽家として疑いの目を向けていたわけです。
だからこそ、ジョージ・マイケルは、自分にこびりついていた「アイドル」というレッテルを命がけで剥がさなくてはならなかったんです。
そして、彼は『FAITH』で完璧に、そのミッションを遂行したと。
そうです。
1987年度の年間全米シングル・ヒット・チャートで「FAITH」が、ナンバー・ワン。
アルバムも年間全米チャートで、『FAITH』がナンバー・ワン。
商業的に頂点を極めた上で、1989年2月に開催されたグラミー賞で最も名誉ある「アルバム・オブ・ザ・イヤー」も獲得したんです。
グラミー賞は、大まかに言えば音楽業界に長く活躍する、白人のオジさん連中が選ぶ賞です。
そんな逆境の中で、20代半ばの彼は、この『FAITH』で、歌はもちろん、作詞、作曲、さらにはプログラミングやシンセサイザーの演奏もほぼ自分でこなし、ワンマン・プロデュースで完成させ、評価も受けたわけです。
その当時の大物アーティスト、例えば、マイケル・ジャクソンには名プロデューサーであるクインシー・ジョーンズがいましたよね。
クインシーはグラミー受賞の常連でしたが、やはりジャズの時代から音楽界にいますから、中高年に受けが良かったんですよね。
マドンナに関しては、逆に作品ごとにプロデューサーを変え、若い天才と呼ばれるようなミュージシャンをどんどんフックアップして自身の鮮度を常に保っていました。
マドンナは、音楽的アンチ・エイジングなんですよね。
ただ、ジョージ・マイケルはこびりついた「アイドル」のレッテルを剥がすために、自分ひとりでその壁を越えなければならない状況にありました。
たったひとりですべてをこなすメガ・アーティストは、その後登場していません。
だからこそ、彼は凄いんです。
特に今、聴いてほしい曲を挙げていただけませんか?
2曲目に収録されている「ファーザー・フィギュア」ですね。
この曲はテレビ番組でマツコ・デラックスさんが好きだと発言したため、にわかに僕の周囲で盛り上がりました(笑)。
この曲は「父親代わり」と言った意味のタイトルなんですが。
実は、僕はジョージ・マイケルが「ゲイ」であることを踏まえて考えると、また違った解釈が出来るんじゃないか、と思ってます。
この時点で彼はカミング・アウトはしていませんでしたが……。
サビで「君の父親代わりになろう その小さな手を僕にゆだねて欲しい 僕は君の先生にだってなるよ 君が思い描くどんなものにだってなる 君の父親代わりになろう 僕は罪を重ねてきたけど、最期の瞬間まで君を愛する、そのひとりになる」と、ジョージは繰り返しています。
ジョージは、デビュー直後までは相棒のアンドリューと同じように成功の報酬として、多くの女性と肉体関係を結んでいたようです。
ともかく18歳でデビューしたワム!は、世界一のスーパー・アイドルになり、モテにモテまくりましたからね。
アンドリューは、イギリスからアメリカに行くまでの飛行機で複数のスチュワーデスから誘われ、次々と飛行機のトイレでセックスしたとういう逸話も残ってます(笑)。
そんな航空会社があるんですね(笑)。
いや、普通はないと思うんですけど(笑)、彼らの人気は常軌を逸していました。
ただジョージは割と早い段階で、女性が自分に寄って来る理由が名声や金銭欲しさではないかと疑いの気持ちを持つようになります。
結果、成功と共に人間不信のような状態に陥り、その後、ワム!の活動期間中に自分がゲイであることに気づいたそうです。
『FAITH』を制作していた時期、ジョージは中国系アメリカ人女性キャシー・ジュングさんとの交際をアピールしていました。
彼女と結婚した、という報道もありました。
キャシーが登場する『FAITH』からのファースト・シングル「アイ・ウォント・ユア・セックス」のミュージック・ビデオは、女性ファンの多かったワム!時代との断絶を狙い、アイドル扱いからの決別、という意味もあったと思います。
ただ、やはりジョージは自分が男性しか本来の意味では愛せないことを、すでに確信していたはずです。
そして、ジョージの突然の死の後で、実は最も感動したのが、そのキャシー・ジュングさんのインスタグラムでの追悼メッセージだったんです。
彼女はメイクアップ・アーティストとして成功され、長年超一流の存在となられています。
その彼女が、満面の笑みのジョージに抱きしめられた楽しそうな当時の写真とともにこんな風に書かれているんです。
「私はジョージをずっと愛しています。
彼と過ごした時間は私の人生で指折りの最高な日々でした。
ジョージとの「特別な友情」で結ばれたことに感謝しかありません。
彼は私の親友です、心の奥にずっといます」と……。
それを読んだ瞬間に、「あぁ……」って僕は声を上げてしまいました。
もしかすると「ファーザー・フィギュア」は、キャシーのために書いた歌なのかな、と……。
一度でもジョージの結婚相手として報道された方です。
90年代になって、ジョージは完全にカミング・アウトして、男性のパートナーの存在を隠さなくなりましたが、ある時期一緒に過ごされていたキャシーさんの気持ちはどうなんだろう、とずっと疑問ではあったんです。
冷たい別れ方をしたのかな、とか。
世界的に注目されていたわけですから、彼女のプライヴァシーも乱されたでしょうし。
ジョージはキャシーを愛していたと思うんです。
キャシーもジョージを愛していた。彼らは相思相愛だった。
その時代のふたりの楽しそうな写真を見れば、わかります。
ジョージはポーズや嘘で、人と仲が良いふりをしたりできるパーソナリティではありません。
ただ、いわゆる肉体関係、男女の関係にはなれなかった。
だからこそ、君を最期の瞬間まで大事に思うひとりになるよ、「君の父親代わりになろう」と、ジョージは歌ったんじゃないかなと。
もちろん彼が悪いわけじゃない。
キャシー、君のことは本当に大好きだけれど、自分は「父親」か「先生」のような存在として君をずっと守っているよ、と……。
そう思うと、さらにこの「ファーザー・フィギュア」の優しさと悲しみが胸にしみるんですよね。
「ワム・ラップ!」でデビューし、究極のバラード「ケアレス・ウィスパー」や、「ラスト・クリスマス」などスタンダードなポップ・ソングを残したワム!から、『FAITH』に至る、ジョージ・マイケルの進化。
できるだけ他者の想いや安易な感情を排除した、ほぼ彼ひとりのプログラミングと脳内イメージだけで完成させた『FAITH』で、彼はワム!時代の栄光を完全に葬り、改めて世界を虜にすることに成功したんです。
彼は、悲しみを知っていたからこそ、心の奥に孤独を抱えていた人に届けられたんじゃないか、と思います。
そういった意味で、僕にとって前回紹介したマーヴィン・ゲイとジョージ・マイケルは、双璧の、絶対的な位置を占めるシンガーですね。
『FAITH』は好きな異性と聴くというよりも、孤独が非常に良く似合うアルバムです。それだけパーソナルなアルバムが、あれだけ世界中で大ヒットした、そこにジョージの天才性があるんです。
この後、90年代に突入。
彼自身の求める音楽を貫いた『リッスン・ウィズアウト・プレジュディス Vol.1』にジョージは進んでゆくわけですが、どちらの作品も日本盤のオフィシャル・ライナーノーツは僕が手がけています。
インタビューで西寺駅長の話を聞いていると、どんどん新たな音楽の景色が見えてきます。
もちろん、レコード、CDで、そしてサブスクリプション・サービスで……。
私も駅長の解説されたポップ・ミュージックを掘り下げるのが、日課になってきました。
写真:杉江拓哉 TRON 取材:水野高輝 / 鈴木舞
編集・構成 MOC(モック)編集部
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