人生100年時代を楽しむ、大人の生き方 Magazine

自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第49回〜

 

 

〜連載第49回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

どこに行っても常に「よそ者」であり「変人」というレッテルを貼られ続けてきた私は、世界に受け入れられることを誰よりも激しく渇望していたと思う。

私を買い物依存やホスト狂いに走らせた承認願望や自己顕示欲が、私の中に鬱積していた疎外感や劣等感に由来していたのは間違いない。

世界に馴染もうとすればするほど、奇妙な行動を取ってしまい、ますます周囲から浮いた存在になってしまう。

 

その事実は小学生くらいから30代に入るまで、20年以上もずっと私を苦しめ続けた。

が、そのうちに「みんなから浮かない」努力を放棄し、むしろ開き直って「変だけど面白い人キャラ」で生きていこうと決めた。

学校もOL時代の会社も広告業界もそんな存在を認めなかったが、ゲーム雑誌ライターになってオタクたちと交わるようになると、全員とは言わないものの何人かはそんな私を面白がってくれた。

オタクは自分たちが世の中から「変人」とみなされることを知っているので、奇矯な人物には寛容であった。

とはいえ、こんなアスペキャラだから、編集部の中の何人かは私を嫌ったり疎んじたりしていたが、そういう人たちに受け入れられようとも思わなくなった。

 

こうして私は、受け入れられることより開き直って浮きまくる道を選択した。

買い物依存症になった頃には、自分が「永遠のよそ者にして変人」であることをほぼ完全に受け入れていたので、「これをネタにしてやれ」という方向に何の抵抗もなく進むことができたのだ。

案の定、世間は毀誉褒貶をもって私を迎えた。

私に腹を立て忌み嫌う人々がいる一方で、私を面白がり喝采する人々がいた。

だが、その双方に共通していたのは、「どちらも私をまったく理解していない」という事実であった。

私を憎む人々はもちろん、私を支持する人々にとっても、私は「奇天烈なよそ者」でしかなかったのである。

ま、要するに「フリークス」だ。

見世物小屋で人気を集める異形のスターだ。

 

「私は人間としても女としても『異形』である」

このアイデンティティが私の中できわめて明確になったのは、やはりこの頃の「取り扱われ方」による部分が大きい。

私は世界の承認を渇望していたが、彼らが私を受け入れたのは決して「仲間」とか「同類」としてではなく、「異形の見世物」としてであった。

何のとりえもない自分の凡庸さを憎み、特別な存在になりたいと願っていた私であったが、もちろんその「特別」とは「異形」という意味ではない。

が、結果的には、私は凡庸どころか異形なのであり、それは決して人々から称賛され自分自身でも望んでいたような「特別」さではなかったのだ。

しかし、望もうが望むまいが、これが紛れもなく「私」であることは否定しようがなかった。

私と世界、私と他者を隔ててきた、私の過剰さと欠落こそが「私」そのものであったのだ。

 

私が「よそ者」であったのは、私が「異形」であったためだ。

私が世界に馴染めなかったのは、そこが私の居場所ではなかったからだ。

私の居場所などどこにもないし、私の同類もどこにもいない。

他者も世界も、常に私から遠く隔たった、手の届かない場所にある。

今までも、これからも、ずっと。

 

凡庸を憎んできた私が、こんな形で凡庸に復讐されるとは思いもよらなかった。

「凡庸こそ幸せである」という母親の人生観を軽蔑し、唯一無二の特別な何者かになろうと必死で足掻いてきた私が、じつは凡庸の側からとっくに拒絶されていたフリークスだったとはお笑いである。

だが、苦笑する一方で、その自己認識は私に力を与えた。

もう、よく意味のわからない世界のルールや決めつけに脅える必要も迎合する義務もない。

フリークスは「治外法権」の生き物なのだ。

カフカの「審判」の主人公のように、理解不明なルールによって無意味に処刑されるかもしれないが、それでも構わない。

そもそもフリークスとは、そういう存在ではないか。

世間の掟に属さないがゆえに、世間から奇妙な注目や称賛を浴び、同じ世間から罰せられ処刑される。

 

マツコ・デラックスがTVに出始めた時、私はマツコに言った。

「あなたは祝祭の偽王よ。神輿の上に祀り上げられ、担いで街中を練り歩かれ、最後にはそこから引きずり降ろされて殺されるの。覚悟はいいわね?」

マツコもまた、フリークスだ。

ゲイの世界にも、ドラァグクィーンの世界にも、彼の居場所は結局なかった。

もちろん、それはTVの中にもないのである。

マツコと私は似ている。

私も、ついに文壇的な世界に交われなかった。

信用している同業者も編集者もほとんどいない。

女子界にも居場所はなかったし、ゲイコミュニティでも私はよそ者だ。

だが、居場所がないからこそ、我々は自由でいられるのだ。

自由と孤独はセットだからこそ、強力な切り札となり得る。

誰にも縛られない分、どこにも属せない……それが「フリークス」という存在なのであった。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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