人生100年時代を楽しむ、大人の生き方 Magazine

自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第1回〜

 

 

〜連載第1回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

数年前に原因不明の病気に罹り、入院中に何度か死にかけた。

その体験の話になると、よく「死にかけたことで人生観とか変わりましたか?」という質問を受けるのだが、その点で言えば、じつは全然変わっていない。

 

むしろ私を変えたのは、臨死体験よりも、その後の障碍者生活だ。

一時期は車椅子で、トイレにもひとりで行けない状態。

今は杖を突いて歩けるほどには回復したが、それでも誰かの腕につかまって支えてもらわなければ、どこにも外出できない。

 

この「ひとりでどこにも行けない」状態が、私にとっては大きな衝撃であり、人生観の転機となった。

何故なら、私はもう40年以上も、「ひとりで生きていく」ことに人生最大の価値を置いてきたからだ。

 

 

思春期の頃からずっと「自立」が私の目標だった。

 

フェミニズム(当時はウーマンリブと呼ばれていたが)の台頭で時代が「女の自立」を持て囃していた影響もあったし、何より父との確執が大きな動機であった。

大学生の頃、反抗する私に父がこう言ったのだ。

 

「おまえは俺の金で暮らしてる身だろ? なら、俺のルールに従え。その代わり、おまえが自活してひとりで生きていけるようになったら、俺はおまえの人生に一切口出しはしない」

 

まったくもってそのとおりだったので、私はぐうの音も出なかった。

で、その悔しさから、私は強く「自立」を願うようになったのだ。

ひとりで生きていける人間になりたい!

誰の助けも借りず、自分だけを頼りに、経済的にも精神的にも独り立ちできる人間に!

 

誰かに食わせてもらうなんて、真っ平だった。

食わせてもらうということは、相手に支配されることだ。

働く夫と専業主婦の関係は、当時、まだまだ対等とは言えなかった。

いや、今でも対等とは言えないだろう。

その証拠に、夫を憎みながらも経済的な理由で離婚に踏み切れない妻は、少なからず存在する。

経済的に誰かに依存すると、人生まで束縛されるのである。

たとえ相手が束縛しなくても、自らを鎖につなぐことになる。

 

私にとって、「自立」は「自由」と同義語だった。

そして「自由」は、この世でもっとも尊いものであった。

誰に憚ることなく、自分の意思で何でもできる、どこにでも行ける……それは自立していなければ果たせない夢だ。

言うまでもなく「自由」と「自己責任」はセットだが、自分で決めたことなら喜んで責任を取るし、そんな自分を誇れると思った。

 

こうして私は、「自由」を求めて迷走を繰り返すわけだが、じつのところ、この「迷走」こそが重要な体験であったと今では思う。

というのも、迷走するたびに、私の中で「自由」の概念はより明確になっていったからだ。

 

たとえば、最初の結婚。

相手の自由で誇り高い生き方に惹かれて結婚したものの、その人は自分の自由は尊重するが妻の自由には敬意を払わない人間だった。

「自由」は自分ひとりのものではないのだ、と、その結婚で気づいた。

他人の自由を犠牲にした自由は、単なるワガママではないか。

我々の自由には前提条件がある。

他者の自由を侵害しない、という大前提だ。

そこを疎かにした身勝手な自由は、もはや「自由」とは呼べない。

 

自由に生きているところが彼の魅力だと思っていたが、その自由が周囲を犠牲にしたワガママだと気づいた時、私の熱は一気に冷めた。

離婚して、もう二度と結婚はしないと心に決め(結局、再婚することになるけど)、ここからは本気でひとりで生きていこうと考えた。

彼の甘えが増長したのは、私が精神的に彼に依存していたからだ。

自立したいと願いながらも、若い私にはひとりで生きていく覚悟なんてできてなかった。

経済的にはひとりで食べていける稼ぎはあった(それどころか、働かない夫を私が食わせていた)けど、精神的には未熟で脆弱で、風が吹くと倒れてしまう細い若木のようだったのだ。

寄りかかる大木を無自覚に求めている限り、私には自立も自由もない。

そう考えた私は、より精神的な自立を求めるようになった。

それまでは経済的な自活こそが自立だと考えていたが、「ひとりで生きていく」にはもっと強い覚悟と意志が必要なのだ。

孤独への耐性、不安や恐怖の克服、そして、ある種のふてぶてしさ。

 

誰も頼るな、甘えるな。

強く逞しい根を張り、自由奔放に枝を張れ。

ああしろこうしろと指図する親や男に支配されていた頃は、私は小さな鉢で窮屈に育った盆栽だった。

伸びすぎた枝は刈られ、彼らの目に美しく見えるよう矯正された。

でも、今の私は野生の木だ。

枝も根も、好きなように張り放題だ。

もちろん、嵐が来たら自力で耐えなくてはならない。

だが、それすらも自信と誇りに繋がっていくのだ、と、当時30代に入ったばかりの私は固く信じていた。

 

ところが、それからすぐに、私は思いも寄らぬ形で復讐されることとなる。

それも、自分自身に。

誰にも依存しないことをひたすら目指した私を待ち受けていたのは、皮肉にも「依存症」という病だったのだ。

(続く)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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