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西寺郷太の「ポップ・ステーション」 駅:其の三 ジャミロクワイ

 

今回、西寺駅長に語っていただくテーマは、ジャミロクワイ。

ジョージ・マイケルに引き続きまして、今回は赤坂駅付近から英国のソウル・ミュージック・シーンに思いを馳せる「西寺郷太のポップ・ステーション」、第5回目です。

 

80’sのイギリスで派生し、80年代後半から90年代半ばにかけて世界的に大きな支持を得たアシッド・ジャズ。

その申し子ともいえるバンドが、1992年にデビューしたジャミロクワイですね。

 

ジャミロクワイはグループ名で、フロントマンのシンガーの名前は、ジェイ・ケイなんですけど、デビュー当初は皆、ジェイ・ケイのことをジャミロクワイだと思いがちでした(笑)。

 

ハイ、私も思ってました(笑)。

 

ややこしいですよね(笑)。

華があって、驚異的に歌が上手いジェイ・ケイのインパクトに視点が集中してしまうんですよね。

帽子をかぶってるあの人=ジャミロクワイって。

ジャミロクワイがデビューした92年は……、僕がちょうど大学生になって、故郷の京都から上京してきたばかりの年でした。

インターネットのない時代だったんで、今みたいには情報の伝達自体は早くなかったんですが、通ってた早稲田大学のバンド・サークルではソウルやファンク大好きな音楽通の先輩たちが「スティーヴィー・ワンダーそっくりなヴォーカルがいて、サウンドは70年代のほぼパクりなんだけどカッコいい」と騒いでましたね。

日本に伝わってきたのは、93年頃じゃなかったかな。

1993年の記憶は、猫も杓子もジャミロクワイとビョークって感じでした。

1994年になると、ベックが登場。

地に足がついた感覚、って言うのかな。

特別煌びやかなステージ衣装とかまとうんじゃなくて、ジャージとか、Tシャツとか普段着のまま舞台に上がる方が素敵に思えたというか。

 

 

80年代のダンス・ミュージックの主流は、シンセサイザーやドラム・マシンを使った「打ち込みサウンド」でしたよね?

 

それが90年代になると当時のコンピュータ特有の硬いリズムに皆が飽きてきて……。

まさに時代は巡る、なんですけど、70年代的なセッション・ミュージシャン達が奏でる生のドラムやベースによるグルーヴの心地よさをミュージシャンやDJ達が再評価し始めました。

CDよりも、消えゆくかと思われたアナログ・レコードを愛でるみたいな。

80年代に「最前線」の文化と逆の方向を向いていたミュージシャンやDJを中心にして生まれ、爆発した音楽が「アシッド・ジャズ」です。

ただ、アシッド・ジャズはあくまでもバンドの生演奏を中心とした文化だったんで、グループ単位だとボーカルよりも曲を作っている鍵盤奏者やベーシストなど、プロデュース感覚を持った人間が主導していることが多かったんです。

ブランニュー・ヘヴィーズ、インコグニート、特に僕が大好きだったのはヤング・ディサイプルズです。

ただ、そんな中で、異様にヴォーカリストが目立つグループとして、シーン最大の注目を集めたのが……。

 

ジャミロクワイだった、と。

 

まさに、です。凄腕メンバーによる生演奏のバンドのグルーヴに、90年代最大級のカリスマ性を放つジェイ・ケイがいた。

80年代的な仰々しい姿格好でなく、アディダスのジャージを着て「仲間とバンドやってる、その辺の兄貴」風に彼が現れた。

だからウケたんですよね。

だけど、会社とか組織にありがちなことなんですが……。

ジェイ・ケイは天才シンガーであり、キャッチーなメロディメイカーであり、コンセプト、言葉を巧みに操るアイディアマンでもあるけれど、芳醇なコードワークやアレンジなど音楽な側面を統括していたのはキーボーディストのトビー・スミスだったんです。

このトビーが、ジェイと同等か、それ以上の天才だった。

 

ジェイ・ケイだけだと、全然ダメということでしょうか?

 

あ、そういうことでもないんです。

若き日のジェイ・ケイが、80年代にソロで作ったデモ曲「ナチュラル・エナジー」。

今、デモがネットで聴けるんですがその頃から素晴らしい曲で、それを聴いてもらえれば彼がとんでもない才能だったことに疑いを持つ人はいないでしょう。

ひとりでも「ほぼ、ジャミロクワイ」なんです。

でも、この「ほぼ」というところがポイントで……。

ジェイは楽器が流暢に弾ける人じゃないんで、あるところで行き詰まっちゃうんですね。

ジャミロクワイの皆が知る、そして僕も大好きなヒット曲は、そのほとんどがジェイ・ケイとトビー・スミスの共作なんです。

ただし、ジャミロクワイは「バンド」でしたが正式なレコード契約をメジャーと結んでいたのはジェイだけだったんですね。

 

 

え?

 

だから、最初の話と矛盾しますけれど、ある意味ジャミロクワイはジェイ・ケイのソロ・プロジェクトだったんですよ。

メンバー達の待遇は、ジェイに比べて圧倒的に悪かったと言われてます。

これがまたジェイ・ケイがひとりでがっちりサウンドを構築し、作詞作曲もこなす人物だったら揉めないんでしょうけど、かなりバンドとのスタジオ・セッションを発展させた曲作りをしていたから、なんでちゃんとしたバンドじゃないのか?という疑問が出てきてしまいます。

そんなこんなで、クールなプレイで人気があったベーシストのスチュワート・ゼンダーが脱退、トビー・スミスは2002年に脱退してしまいます。

表向きは、家族と共に過ごしたいという理由でしたが……。

 

欧米のアーティストって、そういう理由で辞める人が多い気がします。

 

まず充分にお金を稼いだ、というのがでかいでしょうね(笑)。

それと、世界的に人気が出たバンドの場合、ツアーばかりの生活に疲れてしまうのが大きいんじゃないか、と。

一年、時には二年をかけて世界中のいろいろな都市を回りますから。

ツアーに行って自宅にごくたまにしか戻れず、ようやく腰を落ち着けて帰ってきたら、2歳だった子どもは4歳になってる。

辞めたくなる気持ちもわからなくもない。

ともかく、トビーが脱退して以降のジャミロクワイは、マニアに愛される存在として今に至ってます。

良い曲もなくはないんですけどね。

 

ここ最近は、特に Suchmos (サチモス:2013年に結成された日本のバンド。バンド名の由来はルイ・アームストロングの愛称サッチモから)など若いバンドからのリスペクトもあり日本でジャミロクワイ・リバイバルが起こりましたね。

 

ですね。

でもそれまでの10年以上はリリース・ペースも勢いも一時に比べれば落ちていたので。

世の中の人は

「おかしいなぁ。ジャミロクワイ、最近調子落ちたなぁ。ジェイ・ケイどうした?」

と訝しんだりしてたんですけど、実はジェイ自体の調子は変わっていない、って僕は思ってます。

歌は相変わらず素晴らしいですしね。

ただ単に、天才トビー・スミスが作曲のパートナーとして存在しないだけなんです。

それほどジェイ・ケイとジャミロクワイにとって、トビー・スミスは欠けてはいけないピースだった。

会社でもそうですが、不思議なもんですよね。

アイディア・マンでトーク・センス抜群、人を惹きつけるカリスマ性に満ちた敏腕社長がいたとします。

この人は最初の思いつき、方向性を示すのが大得意なんです。

ただし、そこにもう一人、社長の突拍子もないアイディアを具現化・実現化できる凄腕の裏方役、サポートする人物がいなくちゃうまくいかない。

サポートの立場の人間も、最初のアイディアの突破口が必要。

どちらかだけじゃないんです。

ビートルズでいうなれば、ジョン・レノンとポール・マッカートニーは作詞作曲チーム「レノン=マッカートニー」として両者は匹敵する才能を持っていたと皆が知っている。

二人とも歌いますしね。

ジャミロクワイほどフロントマンひとりが目立っているグループって、なかなかないんだけど。

でもジェイ・ケイについて語る時は、「レノン=マッカートニー」や、ローリング・ストーンズの「ジャガー=リチャード」と同じように、必ずトビーに触れるべきだと僕は思っていますね。

 

ジャミロクワイの曲で、西寺駅長が「これは外せない!」と思うのは?

 

さっきも話しましたが、僕の大学生時代って「ジャミロクワイ尽くし」な時代でしたから。

それこそ日本に伝わった93年からずっと熱烈なファンでしたね。

特に2枚目のアルバム『スペース・カウボーイの逆襲』で激しくハマりまして。

来日公演、恵比寿ガーデンホールかな、スタンディングでステージから10メートルくらいの距離、かなり前で観たのが想い出ですね。

特に「スペース・カウボーイ」と「スティルネス・イン・タイム」のシングル2曲は、泣くほど好きですね(笑)。

「スペース・カウボーイ」は、珍しくジェイ・ケイが単独で書いた独創的な曲。

「スティルネス・イン・タイム」は、トビーとの共作です。

で、トビーなんですが、昨年亡くなってしまったんですよ……。

2017年に、ジャミロクワイが来日しまして。

一回は病気で延期になってまして。

それもあったのか、ジェイがびっくりするくらい太ってましたね。

頭には電気で光るどデカイ帽子をかぶって。

たぶん、間が持たないからでしょうね(笑)。

ジェイ・ケイのパフォーマンスって、ミュージック・ビデオ向きというか、5分くらいでお腹いっぱいになっちゃうんですよね(笑)。

昔から。

出だしのインパクトは凄いんですけど。

ジャミロクワイって、アルバムも全体的にそういう部分がありますね。

全曲捨て曲なし、ってアルバムだけが素晴らしいとは思わないんだけど、それにしてもクオリティの波があるというか。

 

 

2017年のライブは良くなかったんですか?

どうなることかと思ったんですよ、最初は。

電気仕掛けで光る帽子の下は、なぜかテロンテロンのジャージで。

お腹も出てましたし。

ただ、実は僕個人的には、これまでの来日ステージで一番感動しました。

ジェイのサービス精神がすごくて。

「みんな、来てくれてありがとう!」って感じが、これまではなかったんですよ(笑)。

遅刻したり、時差ぼけでヤル気が明らかにない公演もありましたし。

ですけど、長く応援する日本のファンに本当感動してくれたんじゃないでしょうか、この間の武道館ライブは気迫が伝わってきました。

体調は芳しくないはずなのに「ジェイ・ケイが、初めて本気で歌ってる~!」って僕、感動しましたもん(笑)。

 

フロントマンとスーパー・サブ。この両者なくしてジャミロクワイの世界的成功はなかった。

グループの歴史から読み取る組織論には、思わず手を打ってしまいました。

続いてはイギリスから北上し、アイルランドへ上陸します。いささか興奮気味の西寺駅長が紹介するのは、「奇跡のロックン・ロール・バンド」の異名を持つU2です。

みなさま、楽しみにお待ちください。

 

写真:杉江拓哉 TRON   取材:鈴木舞

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
大人の生き方マガジンMOC(モック)
Moment Of Choice-MOC.STYLE

 

PROFILE

西寺 郷太

1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド『NONA REEVES』のシンガーであり、多くの楽曲で作詞・作曲も担当している。音楽プロデューサー、作詞・作曲家としては少年隊やSMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉などの多くの作品に携わる。また、ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆とのユニット「Smalll Boys」としても並行して活動。そして、日本屈指の音楽研究家としても知られ、特にマイケル・ジャクソンをはじめとする80年代の洋楽に詳しく、これまでに数多くのライナーノーツを手がけ、近年では80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々がベストセラーに。代表作に小説「噂のメロディー・メイカー」(扶桑社)、「プリンス論」(新潮新書)など。テレビ・ラジオ出演、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在WOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。

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