人生は旅のようなもの。
カセット・テープやデジタル音源、ときには口笛を吹きながら、僕らは旅路の途中にいる。
音楽はいつも旅の相棒だ。
人生には岐路がある、ちょっと立ちどまりたい駅がある。
「ポップ・ステーション」では毎回、あのアーティストのこんな曲やあんなことを紹介します。
そして、僕たちをポップ・ミュージックの旅路に誘う「駅長」を務めるのは、ノーナ・リーヴスのヴォーカル、西寺郷太さんです。
連載第2回目の今回も、西寺駅長に紹介してもらうのは、伝説のシンガー、マーヴィン・ゲイです。
さて、駅長。後半に突入です。
今回、選んで頂いたのは、マーヴィン・ゲイ『アイ・ウォント・ユー』ですね。
そうです。
1976年にリリースされた『アイ・ウォント・ユー』は、そもそも昨年2017年2月に亡くなったリオン・ウェアのアルバムとして、途中までリオンと、ダイアナ・ロスの弟、T・ボーイ・ロスが共同制作していたものです。
最終的に完成していたようなんですが、これまたベリー・ゴーディのある意味「天才的感覚」と言いますか。
若い恋人、ジャニスと二人の婚外子まで作った「義理の兄」マーヴィンは、当時としてはかなり長い3年もの間、アルバムをリリースしておらず、それにも腹を立てていたんですね。
なので、基本的に「歌手」としてマーヴィンが参加して、『アイ・ウォント・ユー』をマーヴィン・ゲイの新作として早急に完成させろ、と厳命したわけです。
これが、結果的にはナイス判断でして天才作詞作曲家のリオン・ウェアのサウンドに、マーヴィン特有の狂気的なまでの多重ヴォーカル・ダビングが施されたことで、『アイ・ウォント・ユー』は、驚異的な完成度を誇るマスターピースになったわけです。
多重ヴォーカル・ダビングについて。
詳しく説明してもらえませんか?
はい。
1970年代はレコーディング機材が著しく進化したおかげで、同一人物の歌を何度も沢山重ねて録音出来る時代になっていました。
もちろん、コーラスの魅力は男女の高低差であったり、声の似た兄弟や姉妹であっても、それぞれ違う特色を持つシンガーの個性が重なり、ぶつかりあう醍醐味にあります。
ビーチ・ボーイズや、ビー・ジーズ、ジャクソン5など兄弟のコーラス・グループが多いのも、小さい頃から練習していた、ということもありますが、元々の声質が似ていることが混ざり合った心地よさの鍵になってたんですよ。
同時に技術的な問題もありました。
例えば、エルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーが活躍した1950年代や、モータウン初期の1960年代は、レコーディングを一度に出来る「トラック数」が圧倒的に少なかったんです。
例えばマイクを一本スタジオに立てて、ベースとドラムを一斉に録音。
それが完了したあと、余ったトラックにリード・ボーカルや、コーラス隊を録音する、とか。
なるほど。
ピンポン録音と呼ばれる、どんどん空いているトラックにダビングを繰り返して音を重ねる手法もありましたが、それではテープのダビング中に結局どんどん音質が劣化していきます。
逆にその潰れた音の不気味さが迫力になったりもしていたんですが。
1970年代半ばになって、一度に沢山の音をバラバラに録音出来るマルチトラック・レコーディングの技術が進歩して、ラジオもモノラルのAMから左右の立体感が楽しめるFMが音楽番組の主流になりました。
その時に、実は優れたシンガーが、たったひとりの声でコーラスやハーモニーを沢山重ねたら、まるで桃源郷のように心地よいサウンドが生まれる、という発見がありました。
「息遣い」や「声の癖」がまったく同じわけですからね。
もちろん一度に大人数で歌うよりも時間と労力はかかります。
根気と、美しいハーモニーを編み出すセンス、能力がいるわけですけれども。
1970年代、多重録音の名手として知られたのがマーヴィン・ゲイでした。
特に、このアルバム『アイ・ウォント・ユー』には、まるでミルフィーユのように何重にも重ねられたマーヴィンの歌声が遺されているんです。
あとですね、この話は信じてもらえないかもしれませんが……。
どうしようかなぁ……。
え?なんですか?教えてください(笑)!
もったいぶりましたが結局、話しますね(笑)。
僕がマーヴィン・ゲイを知ったのは小学校6年生の時です。
1985年。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」とチャリティ・イベント「ライヴ・エイド」の年です。
その頃、ソウルやロックの名盤と呼ばれるレコードを雑誌の特集などを読んでは、買えるものは買い、そのほかはレンタル・レコード店で借りたりしていました。
最初に聴いたアルバムは名作『ホワッツ・ゴーイン・オン』。
マイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーの先輩ということで聴いたんですが、とても優しい声をしているなとか、曲調がいいなといったくらいの感想で。
なんとなく彼の音楽が好き、という状態が18歳くらいまでは続いたんですよ。
後から気がついたんですが、もうその頃マーヴィンはすでに亡くなっていたんですね。
1984年4月1日にマーヴィン・ゲイは、実の父親、牧師なんですが、父親に射殺されてしまうんです。
彼が早くに亡くなったことは漠然と知っていましたが、実の父親に射殺されたことは知りませんでした。
そうです。
その話は、長くなるので今回は突き詰めるのは無理なんですが……。
マーヴィンが亡くなったのは45歳の誕生日の1日前。
つまり、44歳最後の日だったんですよね。
今、ちょうど僕が44歳なんですよ。1973年生まれなんです。
マーヴィンはドラッグの使用もありましたが「超大御所」って感じだったんで、自分がその歳に到達したかと思うと、本当に嫌になりますね(笑)。
──エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノン、カート・コバーン、例を挙げればきりがないですが、天才アーティストには若くして悲劇的な死を迎える方が多いですよね。
それにしても、実の父親に射殺されたというほど悲劇的な例はマーヴィン以外知りません。
父親は表面上は厳格な牧師でしたが、長男のマーヴィンが幼い頃から彼の自尊心を砕き、虐待を続けていました。
それが結果的にマーヴィンを音楽の道に向かわせ、思いのままの感情を歌に込める繊細さ、激しさに繋がった部分ももしかしたらあるのかもしれません。
マイケル・ジャクソン、ブライアン・ウィルソン、そして次にお話ししようとしているジョージ・マイケルも含めて、特にこの上なく優れた才能を持つ男子と「父親」との軋轢は、彼らの生んだ芸術のひとつの鍵だと思っています。
何度もマーヴィン・ゲイについてはこの連載で触れてゆきたいと思ってます。
ひとまずは、僕の人生を変えた、19歳の夏の出来事について話させてください。
当時、新宿靖国通り沿いのレーザー・ディスク店で僕はアルバイトしてたんです。
その店は、BGMを自分で選んでよかったんですね。
それで、八月の間、来る日も来る日もエンドレスで『アイ・ウォント・ユー』を聴いてたんです。
今思えばその時点でハマってはいたんですが。
ある日、いつものように『アイ・ウォント・ユー』を聴いていた時、トランス状態とでもいうんでしょうか。
超常現象というか。
不思議な感覚を味わったんです。
これは冗談で言っているわけじゃないんですけど、ある瞬間ファーっとミストみたいに僕の頭上からマーヴィンの声とサウンドが降ってきたんです。
暖かいシャワーを浴びて、濡れたかと思ったくらいです。
本当に。
盛ってるわけじゃないんですよ(笑)。
マーヴィン・ゲイの魂が、全身に降り注いできたというような瞬間でした。
こんなことあるんだな、と。
それまで他のアーティストの音楽を聴いて、そういう体験は訪れたことはあったんでしょうか?
私はないんですが、羨ましいです。
あれほどまでの感覚は、その一度だけです。
彼が音楽史に残るシンガーであることを知っている人は多いと思います。
でも、その「知っている」という感覚は、僕が最初の数年「なんとなくいいなぁ、魅力的な声だなぁ」なんて思っていたのと同じ状態の人が多いんじゃないか、と感じています。
そんな方々にこそ、今改めて『アイ・ウォント・ユー』を入り口に、マーヴィン・ゲイの深くて混乱した、あまりにも美しい世界を味わって欲しいな、と思います。
次回は、先ほど少し触れましたがジョージ・マイケルです。マーヴィン・ゲイとも精神性という意味で繋がるアーティストだと、僕は思ってます
西寺駅長はどうやらまだまだ語りたいことがあるらしい。
次の出発点はどこでしょう。ポップ・ミュージック好きの方もそうでない方も、楽しみにお待ちください!
写真:杉江拓哉 TRON 取材・水野高輝 / 鈴木舞
編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
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