〜連載第2回〜
自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。
依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。
これは、そんな私の半生の話です。
「買い物依存症」のきっかけは、ライトノベルでデビューして予想外の印税が転がり込んできたからだ。
もともと貯金などに興味もなく、お金が入るとすぐに遣ってしまうタイプだったから、まず「この印税で何を買おうか」と考えた。
マンションの頭金にするとか、そんな遣い道もあったのに、家が欲しいなどとはまったく思わなかった。
家なんか、べつに賃貸でいい。
なまじ買ってしまったら、そこにずっと住まなくてはならないじゃないか。
私は常に身軽でいたかった。
自由とは、何物にも束縛されないことだ。
正直、私は今になってもなお、家を欲しがる人の気持ちがわからない。
引越し魔というほどではないが、結構いろんな街を転々とした。
どこの街にも個性があって面白かった。
家など買ってしまうと、新しい街に住むワクワク感も味わえない。
会社に縛りつけられ、家族に縛りつけられ、家にまで縛りつけられて、いったい何が楽しいんだろう?
その束縛と引き換えに得るものは「安心」か。
それなら私は「安心」なんかいらない。
そんな私が選んだ「金の遣い道」は、シャネルやエルメスといったブランド物だった。
何故、ブランド物だったのか。
ひとつにはファッションが大好きというのもあったけど、それなら何も高額なブランド物でなくてもいいはずだ。
むしろ、お手頃な価格の服を上手に着こなす人の方が尊敬される。
おそらく私は、「他者の承認」が欲しかったのだろう。
印税で稼いでいたとはいえ、まだまだ世間的には無名の作家だ。
ライトノベルの読者たちしか私の名前を知る者はいない。
「職業は?」と訊かれて「小説書いてます」と答えると、ほぼ90%の人がペンネームを尋ねて来るのだが、「中村うさぎ」と答えても誰も知らないし、「そんな名前聞いたことないわよ。虚言じゃない?」などと陰口を叩かれたこともある。
世間の人というのは、自分の知らない作家が金を稼いでいるなどという事実を、あまり認めたがらない。
大金を稼いでるのは有名な作家だけで、無名作家は極貧に喘いでいると勝手に思い込んでいる。
じつのところ、知名度のある作家より大金を稼いでいる無名作家(というか、オタク界限定のローカル有名作家)はいくらでもいるのだが。
そうそう。
派手な服を着て歩いてたら近所の人にばったり会って、「あの人、小説家とか言ってるけどやっぱり売れてないのね。夜のアルバイトしてるみたいよ」などと噂されたこともある。もちろん、そこには侮蔑と嘲笑が含まれていて、周りから見た私は「必死で小説家だと言い張っているイタい人」なのであった。
このような出来事に、当時の私はいちいち傷ついていたのだろう。
だから、誰が見てもわかりやすい「私、稼いでます」記号が欲しかったのだと思う。
で、それがブランド物だった、というわけだ。
金持ちになった男がベンツを乗り回すのと同じですね。
まぁ、それでも最初の頃は、払える範囲での買い物だったからよかった。
常に貯金はゼロに近かったが、借金するほどの事態ではなかったのだ。
ところが、買い物がだんだんエスカレートして、出版社に前借りしたり消費者金融に借金したりするようになった。
こりゃいかん、と思ったけれども、もはや自分ではコントロールできない状態になっていて、毎日のようにブティックを巡っては欲しくもない服を無理やり買うのである。
そう、この頃にはもう欲しい物などなかったのだ。
ただ、「金を遣う」ことだけが目的になっていた。
欲しい物があるから我慢できずに買うのではなく、何か買いたいから欲しい物を漁りに行く……。
こんな本末転倒なショッピングはおかしいと自分でわかっていても、どうしてもやめられない。
なんだか自分の中から見知らぬ怪物が這い出て来て、勝手に暴走しているような気分だった。私は為す術もなく、それを見ているだけだ。
今にこいつに食い潰される、と、本気で怯えた。
部屋の中には、買ったはいいがタグも取らずに放置している服の山がいくつも連なり、その山がたびたび崩れ落ちて散乱するので、まさにカオスとしか言いようのない状態だ。
飽食、いや、過食の部屋だ、これは!
「買い物依存症」という病気の存在を知ったのは、そんな状態が1年以上も続いた頃だった。
そして、この「依存症」は、手を変え品を変えて、私の人生にずっと付きまとうことになるのである。
(続く)
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編集・構成 MOC(モック)編集部
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