〜連載第11回〜
自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。
依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。
これは、そんな私の半生の話です。
病院で心肺停止した時、いわゆる「臨死体験」はなかった。
唐突に意識を失って、プツンと電源が切れた感じで闇に吸い込まれて、それっきりだ。
4日目に意識を回復して自分が脳死に近い状態だったと知った時、その「闇に吸い込まれた」感覚を思い出して「死とは無になることだ」と確信した。
あの3日間、私は何者でもなかった。
私は「私」を完全に手放していたのだ。
何者でもなくなることは、私にとって最高の安らぎだった。
まぁ厳密に言えば「安らいだ」という感覚すらなかったわけだが、少なくともそれは苦痛や怒りや不満に満ちた「生」とは対極にあるものだった。
「死は救済である」と、強く実感した。
そし「救済」とは、とりもなおさず「私からの解放」なのだ。
私を苦しめているのは他ならぬ私自身なのだ、という真実。
私たちは生きている間に大勢の他人を恨んだり憎んだりするが、結局のところ、他人というものは自分の思いどおりになんかならない存在だ。
そして、そんなままならない他人を恨んだりしてる限り、それはすべて自分に跳ね返る。
世界をぐちゃぐちゃにややこしくしてるのは、他人ではなく自分なのではないか?
自分を追い詰めて生き苦しくしているのは自分自身じゃないのか?
そんなふうに思うにつけ、ますます自分というこの重荷を放り出したくなる。
完全なる「無」になりたい。
誰からも見られず干渉されず、何も感じず考えず、ただただ闇の中に浮かんでいる無我の存在に。
そして、おそらく死んだらそうなれるのだと、私はあの体験で知ってしまった。
以来、私にとって「死」は、とてつもなく魅力的な誘惑者となった。
「死」に取り憑かれた、と言ってもいいくらいの状態だった。
だが二回も死に損なってみると、「もしかしたら私はこれからもずっと死ねないまま、異様に長生きとかしちゃうのかも」などという恐ろしい疑念も湧いてくる。
それだけは勘弁して欲しいと思うが、あの底意地悪い神がどんな悪辣な計略を練っているか、わかったもんじゃない。
ならば、なかなか死ねない(かもしれない)私は、こんな不自由な身体と心を引きずって、どうやって生きていけばいいのだろうか?
生きたまま「私」から解放されることは可能なのか?
いや、それは無理だろう。
認知症ならいざ知らず、私たちは自分が何者なのかを忘れて生きることはできない。
認知症だって、記憶を失くすだけで、今この瞬間の「私」という自我は持っている。
そう、「生きる」ということは「私」であり続ける、ということなのだ。
それがどんな「私」でも、私は「私」を抱えて生きていかなければならない。
「死」が「私からの解放」なら、「生」は「私との対峙」。
「死」が「究極の無」なら、「生」は「究極の有」。
そして、「究極の有」とは、これすなわち「私」という自我なのだ。
「私」が生きて存在するからこそ、私にとってこの森羅万象のすべては「有」となる。
「私」が死んで「無」になれば、この世のすべては私にとって存在しないものとなる。
残された家族も友人も、死者にとっては「無」に等しい。
「死」とは、そういうことなのである。
「私」という知覚する主体があるからこそ、この世界は私にとって「存在するもの」と認識されている。
私が死んでも世界は存続するが、それはもう「私」の世界ではない。
私の存在しない他者の世界だ。
「私がいない世界」……なんと安らかな世界だろうか。
私がいなければ、私は苦しむことも傷つくこともない。
他者を苦しめることも傷つけることもない。
私以外の他者は相も変わらず傷つけ合うのだろうが、それは私の知ったことではない。
もしかすると、「神」とはそのような感覚なのかもしれない。
世界を外側から眺め、人間たちが醜く滑稽な争いを繰り返すのを他人事のように傍観している。
そこには怒りも憎しみも、そして愛もない。
だから、この世が理不尽なことに満ちていても、何の痛痒も感じないのだ。
何故なら、それは人間たちが勝手に引き起こした理不尽だから。
そう、「神」とは、私たちにとって「究極の他者」なのである。
ならば、そんなものは存在してもしなくても同じではないか。
「死」が「無」であるように、「神」もまた「無」であるとしたら……私たちが「自分は何のために生まれてきたのか。何のために生きているのか」などと問いかけるのは無意味である。
私が「生きる理由」を放棄したのは、それが「無」であることを知ったからだ。
「生きる理由」など必要ないのだ。
そんなものがなくても、私たちは生き続けるしかないのだから。
(つづく)
イラスト:トシダナルホ
編集・構成 MOC(モック)編集部
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