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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第14回〜

 

〜連載第14回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

退院後の私を悩ませていた、もうひとつの問題があった。

ステロイドの副作用によるムーンフェイスと肥満である。

 

治療のために投与されたステロイドは、驚くほどの効果をもたらした。

全身の突っ張りや強張りも緩和され、心臓が停止するほどの激痛も治まって、私はみるみる回復した。

 

だが、よく効く薬には、それ相応の副作用がある。

入院中に大量に投与され、退院後も処方され続けたステロイドは、私の容姿をがらりと変えた。

ムーンフェイスと呼ばれるステロイド特有の副作用で顔がぱんぱんに浮腫み、本当に満月のようにまん丸に膨らんだ。

身体も全体的に丸々とし、さらにもうひとつの副作用である「食欲増進」が加わって、私は肥満の一途をたどった。

 

「中村うさぎ、激太り!」などというサイトが作られたのも、この時期だ。

肥っていく自分も嫌だったが、その姿をまたネットで嘲笑われるのも耐え難かった。

だが、私はどうしても食べるのを止められなかったのだ。

 

入院中にお見舞いに来た友人が、後に私にこう言った。

「お見舞いにお菓子を持っていったら、目の色を変えて貪り食ってる様子が本当に鬼気迫ってて怖かった。

なんというか、狂気を感じた。

餓鬼とはこういうものか、と思ったよ」

 

もちろん、私はそんな自分を自覚などしていない。

食べることに異様な執着があったのは確かだが、入院中は病院食が不味いせいだと思っていた。

だが退院後も、私の食欲は止まらなかった。

目の前にあるものを片っ端から口に入れ、車椅子でコンビニに連れていってもらうと籠いっぱいに食べ物を買っては帰宅して貪り食う。

ベッドの中で食べ歩きの本を読んでは行きたい店にチェックを入れ、夫や友人たちに連れていってもらう。

そして、みんなの目の前で際限なく食べ続ける。

 

餓鬼……そう、まさに餓鬼だった。

食べても食べても、満たされない。

四六時中、食べることばかり考えている。

もちろん、肥るのは嫌なんだ。

ダイエットしなきゃと何度も心に誓う。

だが、モンスターのような食欲に、そんな脆弱な理性が抗えるはずもない。

 

それは買い物依存症の頃を思い出すような、コントロール不能の欲望のカオスだった。

今にして思えば、ステロイドのせいだけではなく、過食症だったのだろう。

その証拠に、普通は満腹になれば胃も心も落ち着くものだが、そんな状態にはまったくならなかった。

大きなおにぎりを3個ぺろりとたいらげた後、ずっとお菓子を食べ続けている間も、心の中では荒海のように真っ黒な感情の波が激しくぶつかり合っては渦巻いている。

苦悩や怒りや不満や苛立ちが大きなうねりとなって私を突き動かし、まるで復讐のように食べ続けるのだ。

 

それは誰に対する復讐だったのか?

神か? 世間か? 自分自身か?

ああ、そのすべてだ。

私は憎かった。

私にこんな酷い運命を強いた神も、手のひらを返したように私を見捨てて嘲笑う世間も、それに対して何ひとつできない無力な足萎えの自分も、何もかもが憎かった。

 

しかし、私は今までに、自分を呪わずに生きてきたことがあっただろうか?

いや、いつもいつも自分が大嫌いだった。

この世で私ほど、私の期待を裏切る人間はいない。

容姿も知能も才能も、私が欲しがるものを何ひとつ持ち合わせない惨めな私。

そんな自分との折り合いをつけようとして、ブランド物で武装したり美容整形に入れ込んだり恋愛に没頭したりしてきた。

そのような行為で一時的に自分の価値が上がったように錯覚できた瞬間もあった。

錯覚でいいんだ。

どうせ、この世のすべては錯覚に過ぎない。

だが、自力で満足に歩くこともできず、仕事も失くし、ベッドの中で丸々と肥っていくだけの今の自分に、どんな幻想が持てるというのだ?

そして、そんな私の滑落を、世間は手を叩いて喜び嘲っている!

 

私はずっと自分を呪い続けてきた人間であり、その呪いを解くためにあらゆる愚行や暴走を繰り返してきた。

それがようやく落ち着きかけてきた矢先に、この得体の知れない病に襲われて手足をもがれたような無力な身体になり、その怒りや恨みが食欲というモンスターとなって私を餓鬼地獄に追い立てたのである。

目の色を変えて食べ物を貪ることで、私は自分の無力感や絶望を埋めようとした。

そんなもので埋まるはずないのに、そうせずにはいられなかったのだ。

 

食え、食え、食え!

満たせ、満たせ、満たせ!

欠落だらけの世界をパテで補修するように、私は空虚な自分に食べ物を詰め込む。

それが肥満という結果を呼んでますます自分を憎むことになるのがわかっていながら、もっと肥れ、もっと醜くなれ、とばかりに我と我が身に呪いをかけるのだ。

 

「自分嫌いの人間は、人並み外れた自分好きである」と、私は考えている。

私のように自分を憎み自分を呪う人間は、その過剰なナルシシズムゆえに自分に高い期待をかけすぎるのだ。

要するに、「等身大の自分」を受け容れられない。

自分のありのままの姿を憎み、そんな自分に復讐を図る。

自傷行為とは、度し難いナルシシズムの産物なのである。

 

このように、ただでさえ自分への失望と怒りを抱えている私が、不自由な身体になり社会的な価値も失うことで、ますます己への失望を深める。

「こんなはずじゃない! こんなの私じゃない!」と、現実の自分を全否定する。

ここにいる歩けない女、世間から見捨てられた女は、紛れもなく自分であるのに、それがどうしても受け容れられない。

その怒りと不満に、「食欲増進と肥満」というステロイドの副作用が加わって、私の自暴自棄の過食が始まったのだ。

あれから何年も経った今なら、そのように分析することができる。

だが、当時の私には、自分に何が起きているのかもわからなかった。

そして、己の過食と肥満の原因を、すべてステロイドのせいだと決めつけた。

 

ステロイドが悪いんだ。

あの薬さえ飲まなければ、こんなに食べ過ぎることもないし、顔や身体がぱんぱんに膨らむムーンフェイスも治まって、元の自分に戻れるだろう。

そう考えた私は、医師や夫の制止を振り切って、ステロイドの服用を勝手に中断したのだった。

それがどんな結果になるか、考えもせずに……。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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