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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第13回〜

 

〜連載第13回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

車椅子から卒業できたのは、退院して1年以上経ってからだったろうか。

週に3回ほどリハビリに通ったのが功を奏して、何とか杖をついて歩けるくらいまで回復した。

 

普通に歩けていた頃は、歩くことがこんなに大変だとは思ってもみなかった。

まずは立つ練習から始めて、ゆっくりと伝い歩きや歩行器を使った練習に移る。

まるで歩き始めの幼児のようだ。

 

半年くらい歩いてなかっただけなのに、私は「歩き方」を完全に忘れていた。

なんとか立てるようになってからも、最初の一歩が踏み出せない。

恐怖で足が竦むし、たとえ片足を踏み出せても後ろの足を前に持ってくることができないのだ。

 

そう考えると、子どもってすごいなと感心した。

誰にも教えてもらわなくても、自力で歩き方を身につける。

何度転んでもへこたれず、怪我をして大泣きしてもすぐにその痛みや恐怖を忘れて、またがむしゃらに歩こうとする。

あれはいったい何なのだろう?

本能か?

でも、本能だとしたら、今の私だって歩けるはずじゃないか。

なのに恐怖に支配されて、一歩も前に進めない。

 

大人になるということは、痛みや恐怖を克服していくことだと思っていた。

幼い頃は、今思えばどうってことのない些細な事象が怖かった。

大人になるにつれ、そういった恐怖や不安は薄れていく。

それが「成長」なのだと思っていた。

 

だが、もしかすると、逆なのかもしれない。

大人になるほど、私たちは臆病になっていくのかもしれない。

何故なら、未来を予測するようになるからだ。

まだ起きてもいない不幸を予測し想像し、自ら不安と恐怖を作り上げる。

それは、子どもの頃の不安や恐怖とはまったく質の違うものだ。

 

一歩足を踏み出そうとするたびに、転倒する自分の姿が頭に浮かぶ。

その苦痛や動揺を生々しく想像してしまうため、足が竦んで動かなくなる。

「すたすたと歩ける自分」というポジティヴな想像をしようと努めても無理なのだ。

「失敗する自分」しか頭に浮かんでこない。

 

ああ、この感覚には覚えがある。

人生で何度も味わった感覚だ。

何か重要な決断をしようとした時、思いきった行動に出ようと考えた時、たちまち「失敗して大怪我する自分」が目に浮かんで臆してしまう。

私は決して勇敢な人間ではない。

むしろ悲観的で臆病な方だと思う。

世の中には私の生き方を見て「楽観的でポジティヴで無謀なくらい怖いもの知らず」と思っている人が多いようだが、じつは大いなる誤解である。

私がそのような生き方をしているのは、あらゆる悲惨な結末を想定したうえでの選択だ。

大怪我してでも突き進むという覚悟ができるまで前に進めない人間だ。

 

デリヘルをした時も美容整形をした時も、どのような批判や侮蔑を受けるかのシミュレーションはしたし、すべてを失うことも想定したうえで、それでも自分にとって必要な行為かどうかを自問自答した。

で、たいていの場合は、想定したほど酷いことにはならなかった。

というのも、想定がいつも現実を上回るほどネガティヴだからだ。

なので、ちょっとやそっとのバッシングではビクともしない。

「あ、やっぱりね」と思うだけだ。

 

そういう私であるから、「転んだ場合」のシミュレーションもかなり悲惨である。

頭から転倒して血の海の中で脳震盪起こしてる自分とか、足の骨を折って激痛にのたうち回ってる自分とか、さまざまな恐ろしいイメージが頭の中に湧き上がって震え上がってしまうのだ。

しかも私は、人一倍、肉体的苦痛に弱い人間だ。

何しろ入院中に、痛みで心肺停止したくらいである。

「うさぎって痛いと死んじゃう動物だって言うけど、あんたもそうなのね。

うさぎってペンネームはホントだったのねぇ(笑)」と夫にからかわれたくらいだ。

精神的なダメージに関しては覚悟を決められるが、肉体的なダメージには心の準備ができない……どうやら私はそういうタイプらしい。

 

歩くことがこんなに怖いことだなんて、考えたこともなかった。

足を交互に出すだけなのに、つい半年前までは難なくやっていたことなのに、こんなに難しいことだったのか!

もしかすると私は、これから一生、歩けないのかもしれない。

トイレにもひとりで行けず、夫が寝ている時はオムツの中に漏らしてしまう情けない自分には、もうこれ以上耐えられそうにない。

何としてでも歩けるようになりたいのだ。

が、いざ歩こうとすると、大怪我する自分に脅えて、決意も気力も萎えてしまう。

 

そんな状態がどれくらい続いたのか、じつのところ、はっきりとは覚えていない。

が、リハビリの先生と夫の辛抱強い手助けのおかげで、なんとかヨチヨチ歩きまでは漕ぎつけた。

ひとりで出歩くのは無理だが、家の中なら壁を伝ってトイレにも行けるようになった。

嬉しかった。

自分がとてつもないハードルを克服したかのような誇らしさだった。

 

ここまで来るのにいろんな苦悩があったことを思い出すと、感無量だった。

首を吊ろうとしたくらい、絶望していた時期もあったのだ。

あの時は腕も上がらず足も立たず、車椅子から滑り降りてドアノブまで四つん這いで行くのが精一杯だった。

でも、今の私は、覚束ないながらも自分の足で立っている!

 

退院してからというもの、自分の足で立つことを、どんなに夢見てきただろう!

もう無理なんじゃないかと何度も思った。

無気力にベッドに横たわったまま、悔し泣きする日々がずっと続いていた。

だけど、今は立てるんだ!

この調子なら、もうすぐひとりで歩けるようにもなりそうだ!

長いトンネルの向こうに、ようやく出口の光を見つけた気分だった。

ああ、そうだ! 出口のないトンネルなんてないんだ!

 

しかし、この喜びは長く続かなかった。

その後、私は再び車椅子生活にもどってしまうのである。

そして、それはまったく自業自得の結末だった。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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