〜連載第5回〜
自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。
依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。
これは、そんな私の半生の話です。
2013年の夏、私はひどく食欲を失い、何も食べられなくなった。
次いで体力が激落ちし、徒歩15分ほどの駅に行くのも息切れがして途中で休むようになった。
この時点では、ただの夏バテだと思っていた。
どこかが痛いわけでもないし、老化というのはこういうものか、という程度の認識だ。
そのうち、手が震えてコーヒーカップが持てなくなったり、階段の昇降がきつくて夫に迎えに来てもらうほどになった。
そんな私を見た友人の医師が「どっか大きな病院で検査を受けた方がいい」と忠告してくれたので、近所の東京医科大付属病院に行ったところ、その日に検査入院を言い渡された。
まぁ、検査入院なら数日だろうと勝手に思い込んでいたのだが、入院した途端に全身が突っ張ったり激痛が走ったりするようになり、結局、それから半年も入院生活を送る羽目になった。
病名は確定せず(じつはいまだに確定してない)、神経の病気だろうと言われた。なんだかよくわからなかったが、とにかく私の病状はどんどん悪化し、足が強張って捻じ曲がり、経つことも歩くこともできなくなった。
自力で起き上がることもできず、着替えやトイレも看護師さんの助けが必要になった。
痛みに耐えられなくなったらナースコールで看護師さんを呼び、痛み止めやマッサージをお願いする。
が、看護師さんは忙しい。
なかなか来てくれないし、こっちも気遣ってギリギリまで我慢するから、ベッドの中で悶絶することも多々あった。
深夜や早朝、痛くて痛くて呻きながら、あちこちで鳴りわたるナースコールを聞いている気持ちを今でも思い出す。
ああ、みんな苦しいんだ。
私より苦しんでる人もきっといる。
神様、神様、この人たちを助けてください。
あなたは何故、こういう人たちに何もしてあげないんですか?
この人たちは何故、こんなに苦しんでいるのですか?
神様、あなたは鬼ですか?
私は神の存在を信じていない。
だが、キリスト教の環境で育ったために、完全に神を振り切ることができない。
魂に深く深く刻み込まれた神の存在は、どんなに理性で否定しても、影のように私に付きまとっているのだ。
だから、私は何十年ぶりかで祈った。
この人たちを助けてください、と。
こんなに苦しんでる人たちを、どうかどうか見捨てないで、と。
自分を美化していると思われたくないので、この件はあまり書きたくなかった。
でも、本当のことだ。
あの時、何故、自分ではなく他人のために祈ったのかはわからない。
だが私は、本気で、この人たちが救われるのなら自分はどうでもいいやと思ったのだった。
私は普段から利他的な人間では決してない。
むしろ、自分を守るためなら平気で他人を傷つけるタイプだ。
なのに、あの時、私は何故あんな祈りをしたのか。
それは自分でもわからないのだが、その当時のことを夫から聞くと、どうも私は別人格であったらしい。
「あんた、あの頃、別人みたいだったよ」
「どんなふうに?」
「友達のE子がお見舞いに来たことあったんだけど、いつもみたいに毒舌ジョークの応酬しようとしても、何言ってもあんたはずっとニコニコ笑ってるだけなの」
「ほほう」
「そんで、E子が帰りがけにこっそり言ってた。『何あれ? のりちゃん(←私の名前)じゃないよ! なんか菩薩様みたいで気持ち悪い!』って」
菩薩様……(笑)。
しかし、もし私が当時、菩薩みたいな人格になっていたのなら、あの奇妙な利他的(偽善家もしれないが)祈りも腑に落ちる。
私は、私の中に刻み込まれた「神」に憑依されていたのかもしれない。
いや、神というよりキリストか。
他人を救うために自らを捨てる利他の人。
私はずっと、そういう人間になりたかったのかもしれない。
そういえば、この頃の私について、もうひとつ恥ずかしいエピソードがある。
これも夫に聞かされたのだが、ある朝彼が病室に入っていくと、私が真顔でこう言ったそうなのだ。
「私は世界を救わなくちゃいけないの」
「……そうなの?」
「そうなの。私は世界を救わなくちゃいけないんだけど、その力がないの。どうしよう」
「うーーーん……どうしようね」
この人、頭がおかしい。
そう思った夫はあえて反論することもなく調子を合わせていたそうだが、私は一日中、「世界を救わなければ」とブツブツ言っていたらしい。
やばい人になってたようだ(笑)。
そして、その後、驚くべき事件が起きた。
私が本来の私ではなくなり、見知らぬ人格になった二週間後、私の心臓は突然停止したのである。
(つづく)
イラスト:トシダナルホ
編集・構成 MOC(モック)編集部
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