2019年に実験航海に成功した「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」に関連した研究成果について、発表があった。
東京大学と国立台湾大学海洋研究所と共同による研究成果をご覧あれ。
1.発表者:
海部 陽介 (東京大学総合研究博物館 教授)
久保田 好美(国立科学博物館地学研究部 研究員)
郭 天俠 (国立台湾大学海洋研究所)
詹 森 (国立台湾大学海洋研究所 教授)
2.発表のポイント:
海洋学で用いられる「漂流ブイ」の軌跡を分析するユニークな方法で、 旧石器人が黒潮に流されて沖縄の島々へ移住した可能性はほとんどないことを示した(図1・2)。
沖縄の海は、 距離や海流の面から渡るのが非常に困難。
ホモ・サピエンスがそのような海に3万年以上も前から積極的に進出していたことが、 はじめてデータで示された。
これまでの旧石器人に対するイメージを変える発見と言える。
図1 左)台湾とルソン島(フィリピン)の沿岸(東部海岸10km圏内)から流れた138の漂流ブイの軌跡。
色がついているのは黒潮を横断した6つのブイ。 島の周囲の円は海岸から20km圏内を示す。 右)黒潮の流路。
色は流速を示していてオレンジ~赤が秒速1~1.9メートル(海洋研究開発機構 JCOPE-Tにより作図)。
★は3万5000~2万7500年前の遺跡がある奄美大島以南の島。
図2 SVP漂流ブイ。 水面下に測定装置がつながれ、 衛星通信で位置や水温などのデータが収集される。
一定規格のこのようなブイが世界中の海を何千個と漂っていて、 海の現状をモニタリングしている(参照: https://www.aoml.noaa.gov/phod/gdp/ )。
画像提供:Global Drifter Program/Lagrangian Drifter Laboratory, Scripps Institution of Oceanography, University of California San Diego ( https://gdp.ucsd.edu/ldl/ )
3.発見の意義 :
民俗学者の柳田国男は、 愛知県の海岸に漂着したヤシの実を見て、 「日本人の祖先は、 黒潮に乗って南方から沖縄の島伝いにやって来た」という考えを、 1961 年の著作『海上の道』で披露した(注1)。
このシナリオは人々を魅了し、 1970 年代にはフィリピンから日本を目指す民間による実験航海(漂流実験?:注2)も行われた。
しかし、 本当にそのような可能性があるのだろうか?
本研究では「フィリピンと台湾から黒潮に流された古代の舟が沖縄の島に漂着する可能性」について、 漂流ブイのデータを使って綿密な検討を行ない、 漂流説を強く否定する結果を得た。
琉球列島には、 秒速1~2メートル、 幅最大100kmにおよぶ世界最大規模の海流「黒潮」が流れ、 さらに目標の島が水平線の向こう側で見えないほど広い海峡もある(図3)。
そうした困難な海を意図して渡った祖先たちには、 「流れて来た民」よりも、 「新しい可能性に挑戦した開拓者」というイメージが適切でしょう。
図3 左上)台湾の立霧山(標高1200m)から見た与那国島方面の海。 左下)左上の四角のポイントに姿を現した与那国島。
右)沖縄の島々が好天時に海上から見える範囲(円)。 グレーの部分は水深80mより浅く3万5000年前頃に陸化していたと考えられる領域。
▲は立霧山。
(写真撮影:海部陽介、 地図はGeoMapAPPで作成)
4.詳しい内容 :
日本列島の人類史は、 大陸から海を渡ってきた後期旧石器時代の人々によって、 3 万8000年前頃に幕を開けた。
そうした中で、 3 万5000~3 万年前には、 琉球列島の全域に人が拡散している。
しかし、 ここで1つ難問がある。
当時の人々は島に偶然漂着したのか、 島を目指して航海したのか、 どちらなのでしょう?
これには漂着の確率を算出する必要があり、 人類学者はその方法について長い間悩んできた。
そのためには海洋学で海流の実態調査に使われている衛星追跡機能を備えた「漂流ブイ」(図2)を利用すればよいことに気づき、 「人類学者×海洋学者」の日台共同研究チームを立ち上げた。
その途中経過は、 2018 年に国立科学博物館の動画で公開しています(注3)。
今回、 フィリピンからの漂流も含めて総合的な分析を終えたので、 その最終成果を論文として公表した。
新たな解析から次のことが判明した。
【奄美大島以南の島々への漂着確率】
・地形、 過去の地殻変動記録、 生物分布、 復元された過去の海水温構造、 海底堆積物、 コンピューターシミュレーションなど様々なデータから、 黒潮が台湾~与那国島間を通過して東シナ海へ入る流路(図1右)は、 過去10 万年以上変わっていません。
・ 1989~2017 年の29 年間の様々な季節に、 台湾とフィリピンの沿岸から流された138 の漂流ブイの動きを解析した。
そのうち127 が黒潮に乗って北へ運ばれたが、 その大多数(95%)は黒潮を横断できず、 横断した6 つのうち沖縄の島から20km 圏内に近づいたものは4 つ(全体の3%)であった(図1)。
・ 黒潮を横断した6 つの漂流ブイの1 つは、 台風の影響を受けていた。
残りの5 つの動きを、 スーパーコンピューターによる最新鋭の海流予測システム(海洋研究開発機構のJCOPE)で評価すると、 北風や大洋上に発生する渦で黒潮が乱れたときに、 横断が起こ っていた。
台風や北風で海が荒れているときに舟を出す人はまずいないので、 漂流舟が黒潮を横断する確率はさらに小さいはずです。
・ 東京大学の井原泰雄らが2020 年7 月に発表した関連論文によれば、 新しい島で人口を維持するには、 男女を含む少なくとも10 人程度のグループが渡る必要がある(注4)。
そのような条件を満たす漂流が起こる確率は、 さらに小さくなる。
・ つまり、 古代の舟が黒潮に流されても、 沖縄の島に漂着することはほとんどありません。
さらにその舟に10 人以上の男女が乗っている確率(狩猟採集社会であれば2つ以上の家族が想定されます)も小さいと考えられ、 沖縄への漂流説は支持できない。
【さらなる発見】
・ 台湾から流れた8 つの漂流ブイ(7%)は、 台湾沿岸から14~20 日後にトカラ列島~九州方面に流されてた(図1)。
従ってこれらの島に台湾から漂着することはあり得ますが、 命をつなぐには、 男女の集団が14 日以上の漂流に耐えなくてはなりません。
・ 一方で、 台湾やフィリピンから流された漂流ブイの多くが、 大陸側へ戻ることがわかった(図1・3)。
このことから、 「黒潮に流された旧石器人の舟が生還し、 それによって蓄積された黒潮についての知識に基づいて、 現実的な作戦を練って与那国島を目指した」というシナリオができそうだ。
注1 柳田国男『海上の道』筑摩書房 1961 年
注2 角川春樹『翔べ怪鳥モア-野性号II の冒険』角川文庫 1979 年 / 毎日新聞社編『竹筏ヤム号漂流記-ルーツをさぐって2300 キロ』毎日新聞社 1977 年
注3 詳細はこちら
注4 Ihara, Y., Ikeya, K., Nobayashi, A. & Kaifu, Y. (2020) A demographic test of accidental versus intentional island colonization by Pleistocene humans. Journal of Human
Evolution 145:102839.(日本語解説記事)
5.研究代表者(海部)のひと言 :
当初は漂流説の検証法を考えあぐねていましたが、 台湾の黒潮研究の第一人者である共著者(詹森:国立台湾大学海洋研究所 所長)に出会って、 漂流ブイのアイディアを思いつくことができました。
このおかげで漂流説がほとんどあり得ないことを、 はじめて説得力を持って示せたと思います。
漂流物の実際の動きを確かめたことにより、 思いのほか多くの発見がありました。
6.発表雑誌:
雑誌名: Scientific Reports :12 月4 日(日本時間)
論文タイトル: Palaeolithic voyage for invisible islands beyond the horizon
著者:海部 陽介 (東京大学総合研究博物館 教授)
郭 天俠 (国立台湾大学海洋研究所)
久保田 好美(国立科学博物館地学研究部 研究員)
詹 森 (国立台湾大学海洋研究所 教授)
※本研究は、 第一著者(海部陽介)が代表を務めた国立科学博物館「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の関連研究です。
このシリーズは、 あと数本の論文を発表して完結します。 実験航海プロジェクトについては以下をご参照ください。
海部陽介『サピエンス日本上陸-3万年前の大航海』講談社 2020 年
編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
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