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笑いあり、色気あり。古典は、生命力に富んだ物語の宝庫だった!山口仲美氏インタビュー【第1回】

 

 

古典文学研究の第一人者の山口仲美先生。

くるくると表情を変えながら、“古典の楽しさ”を語ってくださいました。

キュっと口角のあがった唇から紡ぎだされる古典語は、歌のようにリズミカル。

聞き手を物語に引き込む語りの名手のようでもありますが、山口先生ご自身が古典が描く人生模様に魅せられた一ファンなのだそう。

 

 

──大学の教壇やテレビなどで、古典の魅力を教えてくださる山口先生ですが、ご自身が古典の楽しさに目覚めたきっかけは?

 

高校時代に古典を教えてくれたのが、すごくハンサムな先生だったの。

博多人形みたいな先生で。どうすればこの先生に認められるかと考えたのよ。

もうこれは古典ができるようになるっきゃないと。

とにかく印象付けようと思って勉強したの。

先生が「徒然草の品詞分解のテストをするからね」と言ったらね、もうあたし喜んじゃって。

大学ノート2冊にに徒然草を写したわ。

「徒然なる」は形容動詞、「ままに」は形式名詞+格助詞、「ひぐらし」名詞とかってね、ずーっとノートに品詞分解していった。

そのおかげで覚えちゃったの。

文法にすごく強くなっちゃった。

たとえば形容詞の活用。

「く、く、し、き、けれ、〇(とん)、から、かり、〇(とん)、かる、〇(とん)、かれ」ってね。

それから推量の助動詞「む」の活用。「〇(とん)、めり、めり、める、めれ、〇(とん)」とか。

覚えちゃったので、ものすごく古典が強くなったの。

高校時代ってなんだかよくわからないのよ。自分の向いていることとか。

でも、とりあえず、その先生に認められようと努力した。

結果的にはそれが現在につながったってとこかな。

 

──高校時代に古典の先生に憧れていたというエピソードを聞いていると、清少納言が書いた『枕草子』の一節を思い出します。

清少納言曰く、説経を読む僧は……

 

「顔がよくなきゃ」って章段でしょ?

「説経の講師は顔よき。」これ女心だもん、絶対そう。

説教するお坊さんの顔がいいとね、「あら。ステキ!」ってなるの。

顔が悪いとね、もういいわどうでも~。

聞く気になんないわ~ってなっちゃう。

清少納言の人気の秘訣は、凄くミーハー的な心でものごとをキャッチすること。

そして平気でそういうことを言っていくこと。

そういうところが彼女の強さなの。(『枕草子』平安時代中期に、清少納言が書いた随筆)

あたしも古典の先生がハンサムだったから勉強を頑張って、たしかに試験はいい点数を取れたんだけど……。

その先生はね、同僚の素敵な女性と結婚しちゃったのよ~~!

そうしてあたしはあえなく失恋したのである……が!!

そのあと国文学、国語学を学べる大学に行こうと思ったの。

お茶大(お茶の水女子大学)があったので、そこの国文学科の中の国語学に進んだんです。

 

 

──いよいよ研究の道へ足を踏み入れたのですね。

大学へ進んでからは、どのようにして古典の世界に触れましたか?

 

お茶大では入ってすぐに、「変体仮名」を読ませられたの。

変体仮名というのは、あのくにゃくにゃくにゃくにゃ~ってした文字。

平仮名ができたばかりの時代のものだから、漢字のようにもちょっと見えるんだけど。

たとえば、今は「あ」という音に対してひとつの平仮名しかないけれど、昔は数種類あるんですよ。

「阿」からきた平仮名、「愛」からきた平仮名、「悪」から来た平仮名、とかね。みんな「あ」と読む。

そういう「変体仮名」で書かれた古典を読まされた。

「いづれのおほんときにか、にょうご、かうい、あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやんごとなききはにはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり」とか。

くにゃくにゃ~ってした変体仮名で書いてあるの。

あたし、これをすらすら読めるようになろうじゃないかって。

今まで見たことない文字を見ると燃えるじゃない?

これまた一生懸命になって暗記したの。「あ」には、この字とこの字とこの字がある、って。

自分で書いて、練習して覚えたんですよ。そうしたら、読めるようになってきた。それが嬉しくなっちゃった。

変体仮名を読めたということが嬉しい!

小さい子が字を覚えたときに、書いてある字を読めたら嬉しく感じるじゃない。

それと同じで、読めることが嬉しい。

意味なんか別にわかんなくても、スラスラ読めちゃうことが嬉しい。

大学に入ってすぐ、先生がそういうことをやらせてくださったの。

一番好奇心旺盛な時に、新しいことに挑戦させてくれたのね。

 

──古典語を読めることがまず楽しかったと、瞳をキラキラ輝かせながら山口先生は語ります。

お話しとして先生が特に好きなのは『今昔物語集(以下、今昔)』のようですね。(『今昔物語集』平安時代後期に書かれたとされる説話集。)

 

そうなの。今昔はね、男性がだ~い好きなのよ。

エッチで、下ネタ満載だから。アハハ!

あと、今昔にはおススメの読み方がありましてね、全部で31巻あって、1040余話あるんですよ。

私の読み方がどんなかっていうと、最初から読もうとしない!

古典とかあらゆるものはそうなんだけど、パラパラ見ていて面白いところがあったらそこから読み始めるんです。

これが続けるコツね、絶対。今昔の最初の方にあるお釈迦様の話なんて面白くもなんともないじゃない。

そんなのじゃなくて、日本の世俗部の話から入るのがいいわ。女盗賊の話とかさ。

色香でどんどん男たちを家来にしていって、そいで鞭でピシーッてやって鍛えるのよ。

 

 

──セクシーな女性が男装して、男を鞭打つシーンですね!(『今昔物語集』‐巻29の3「人に知られぬ女盗人のこと」より)

 

そうそう! ああいう話とかから読んでいくと魅力を感じるじゃん。

さっきの『枕草子』の話だったら「説教の講師は顔よき……んん!? どういうこと??」ってなるでしょう。

自分が「ん?」と感じたとこから読んでいく。

エッチな話だったら「なになに?

いやらしいことが書いてありそう」とかさ、そういう興味でいいと思うのね。

「なにか面白そうなこと書いてあるみたい」というところから入っていくのがいい。

「勉強しましょう」なんて、面白くもなんともないじゃない。

パラパラ読んでいて目を惹きつける言葉があるじゃない、エッチなのでもいいの。

「マラ」とか出てくると、「え、え、えーっ!?」ってなるけど、今昔なんて「マラ」満載よ!

あれはマラの文学だから(笑)。

 

──にっこりと微笑む山口先生から驚きの単語が。朗らかに話を続ける先生につられて、ぐいぐいと今昔の世界に入り込んでいきます。

 

それから「つび」ね。女性のアレのことをそう言うのよ。

「つびの欲しくて耐へ難かりければ」なんて、芥川龍之介が絶賛した話も今昔にはあるわよ。

マラの話では、こんなおかしな話があるわ。

ある男が、地方に行って泊まる用事があった。家来を連れて郡司の家に泊まったの。

夜寝付けなくて、辺りを見たら、水も滴るいい女が見えた。男は郡司の妻だなとは思ったんだけど、あんまり魅力的なんで、ついその女のところに忍び込んだ。

最初は、女も拒む様子を示したんだけれど、でもね、結局は受け入れてくれた。それで、男は女の「懐にいりぬ」。

つまり、セックスをしようとした。

すると、女が「男のマラを痒がるやうにすれば」、つまり、女があそこをこちょこちょしたの。

「どうしたんだろう」と思ってね、自分のあそこを触ってみたら、……ないの!

自分のアソコがなくなっちゃった。焦った男は女のところから帰っていく。

仰天したまま、家来にこう言うの。

「お前、あそこにいい女がいるから行ってみろよ」って。

同じように女のところへ行って帰ってきた家来も、しょんぼりしてる。

男たちが次々に行ってはしょんぼりとして帰ってくる。

みんな、マラをとられちゃったわけ。

翌日、男たちは「この家はへんな家だ」と思って大急ぎで出発した。

すると後ろから「おーい、おーい」と呼ぶ声が。

みんなぎょっとしたわけ。そしたら「忘れもんだよー!」と郡司の家来が風呂敷を持ってきた。

風呂敷を開けてみると、マラが九つ入っていたの。

だけど、それらが一度にパッと「失せぬ」。消えちゃった。

男たちがアソコを抑えると、マラは戻っていた。

みんな「あった、あった」と喜んだ。

つまりね、男たちは幻術をかけられていたの。

幻術によってマラがなくなったかのように見せかけられ、かつ、戻ったかのように見せかけられたという話なの。

(『今昔物語集』‐巻20の10「陽成院の御代に瀧口、金の使に行きたること」より)

だけどね。マラがなくなったときの男の詳細な心理を、今昔物語集は絶対に書かない。

これが面白い!

読んでいるほうはね、「男の人はどんなに焦っただろう、冷や汗ポロリだよなぁ」と、想像して読むことができる。

今昔物語は、心理描写をほとんどしないんですよ。

源氏物語と正反対。

(『源氏物語』平安時代中期に、紫式部が成立させた長編物語)

源氏物語は、そのときそう思って、そうしようと思ったんだけど、そんなことしたらみんながどう思うだろうと心配になってと、その時の心理を微に入り細を穿って説明する。

 

 

──“心理描写をしない”ことが今昔物語の独自性である、と。

読み手からすると、どのように物語の世界に入り込めるのでしょう。

 

心理描写をしないから、エッチな話を素直に読めるのよ。

どうしてかというと、「マラをかゆがる」なんて時の心理を描いたらすごくいやらしくなっちゃうわ。

今昔にはね、女の秘部を診察する話なんてのもあるわけ。

お医者さんが女性の秘部を診察するんだけど、その場面ではお医者さんの気持ちなんて一切書いていない。

女の前を開けさせて診てみるけれど「毛の中にて見えず」、どうも状態がよく見えない。

それで「手を以(もっ)て、そこを捜(さぐ)れば」秘部のすぐそばに赤い腫れものがあった。

女の秘部を診察するなんてシーン、並みの(書き手の)腕では書けないわよ。

だっていやらしくなるから。ところが今昔の作者は、ドライに、見たまんまを書いている。

「股の雪のやうに白きに、少し面腫れたり。(中略)左右の手を以て毛を搔きわけて見れば、専に慎むべき物なり。」という風に、ぐいぐい診察を続けて行っちゃう。

(『今昔物語集』‐巻24の8「女、医師の家に行きて瘡を治して逃ぐること」より)

今昔物語集の魅力というのは、心理描写をせずにドライに性の描写をすること。

これが一番の魅力なんです。

こういう魅力を見つけていくと古典がどんどん楽しくなっちゃう。

 

──大胆な性の描写というと、それだけでセンセーショナルになったり売り文句になりそうな気もしますが、『今昔』ではそれが当たり前ということでしたか。

 

現代の小説を読んでいるときとの(感覚の)違いよね。

ワンクッションあるためにいやらしい話もいやらしくない。

どぎつい話も、古典なら非常に素直に受け入れられる。

現代の話だと、(古典と同じストーリーでも)「そんなのウソ!ありっこない」って思っちゃうことがある。

古典なら「そういうこと、あったかもしれない」と素直に受け入れられるというメリットがあるの。

それは、言葉の違いが大きい。「マラ」という言葉があるでしょ。現代の言葉で言えと言われても、とても口に出すのがためらわれる。

だけど「マラ」なんて現代語にないから、まず「えっ?なんのこと?」と思いつつ読む。

そうして調べて「あら、そう。そういう意味なのね~」と思うじゃない。

言語の違いというワンクッションがある。

そのおかげで、現代では味わえないような“ほんわかとした楽しさ”を味わえる。

それが古典の魅力ね! 「マラ(漢字表記だと、門構えに牛)」が、現代語の呼び方で書かれていたら、どう思う?

 

 

──うぅ~ん、直接的な言葉ですね! 

読み進めることより、恥ずかしさが勝ってしまうかも……

 

ね?「もうヤダァ。読むのよそう」って思っちゃうじゃない。

古典ならそれがなくて、素直に楽しめる。

 

──なんだか『今昔物語』をもっと読んでみたくなってきました。

どこから読み始めるのがおすすめでしょう?

 

巻27から巻31の話をお読みください。世俗部のお話し満載。

そうね、新聞の三面記事と思って楽しんでちょうだい。

どこで、誰が、なにを、いつ、どうしてしたのか、という書き方がされているから。

一話一話が短いので読みやすいというのもあります。

たとえば、ある女が男と結婚した。だけど男が変な商売をしているような気がする。

女が探ってみると、男は泥棒だった。

女は「アンタ、泥棒なんてやめなさいよ」と言う。

すると男は怒って奥さんを殺しちゃった。それで終わり。

新聞記事だって心理描写はないでしょう?

それと同じ。そういう話が今昔にはいっぱいあるの。

三面記事と思って読んでみて。

 

──『今昔物語集』のドライな描写のように、古典作品には個性がたくさん含まれているのですね。

源氏物語などほかの古典作品にみられる個性とは?

 

源氏物語は心理ね。微に入り細を穿って書いていく。

そして人物を描き分けていく。

こういう女の人はこういう心理なのよ、こういう容姿の人はこうなのよ、と。

描き分けの巧さ。これが本当に楽しい!

それは紫式部が用いる言葉の面からもわかる。

女性を形容する、「なよなよ」「たをたを」「あざあざ」。

紫の上はものすごく華やかで目立つ人だから、「あざあざ」という言葉をつくって形容するのよ。

「鮮やか」という言葉からつくっちゃうのね。

賢い人だと「けざけざ」。「けざやか」という言葉からつくっちゃう。

ちょっと意志が弱い女性は「なよなよ」や「たをたを」。

こうやって描き分けていく魅力がありますね。

『とはずがたり』なんて結構「この野郎~!」と思わされるわよ(笑)。

(『とはずがたり』鎌倉時代中後期に、深草院二条が綴った日記)

書き手の深草院二条は、いろんな人に身を許しちゃう。

院とかにもね。誘われると「アタシ、意志が弱いから断れないの~」って感じでみんなと関係していく女性の話。

 

 

──なんと…..。深草院二条はきっと、絶世の美女だったんでしょうね~。

 

美女かどうかはわかんない! 『とはずがたり』が書かれたのは、鎌倉時代。

問われていないのにも関わらず、作者の深草院二条が「あたし、語っちゃうわ!」と天皇とか院とかとのことを語っていくという物語。

だから、自分のことは美人だとは書かないじゃない。

ま、美女なんでしょうね、院とか天皇とか大臣とか、み~んな彼女とセックスしたがるから。

う~ん。美人じゃなくてもそこそこ色っぽいくらいでもいい。

和泉式部なんかも面白くって。

(『和泉式部日記』平安時代を代表する恋多き女流歌人・和泉式部が綴った和歌の贈答シーンが多い日記)

『和泉式部日記』を読んで、そこから現代に活かすものといえば、「男性に好かれるためにはどうすればいいか」という観点!

たとえば、和泉式部日記の冒頭にある話でね。男から女へ手紙を送った話があります。

男の兄と、女は恋仲だった。だけどお兄さんが死んじゃった。

そこで弟が、橘の花を女に送ってきた。橘の花ってのは、昔の人をしのぶよすがになる花なのね。

そうしたら女は「橘の花で亡くなったお兄様を懐かしむよりも、あなたのお声が直接聴きたいのよ、あたし」ってモーションをかけちゃう。

あたしのところへ来て!と。

(『和泉式部日記』‐「夢よりもはかなき世の中・薫る香に」より)

これはもう、男性を惹きつける術ね。男性が来たくなるように、女が仕向ける!

口がウマいのよね。

そういうのを学ぶと、『和泉式部日記』からは“男に好かれるにはどうしたらいいか”。

源氏物語だったら、“どういう女が男から見て魅力があるのか”。

源氏物語からは男も学べることがある、女に好かれるためには光源氏みたいに口が巧くなきゃいけないとか。

好かれない男っていうのは、口がヘタなの。

“コミュニケーション”という観点からみると、源氏物語は学ぶことが多い。

たとえば光源氏には通いどころの女性が数人いるじゃない。

「君が一番好きだよ。次はいついつに来るから待っててね」と言って、「あなたが僕の一番の思い人」だと、それぞれの女性に思わせる。

なかなかできないよ~。ふふふ。

 

 

──バレたら怖いですね……

 

現代では怖いけど、当時は当たり前だから。

ただやっぱりね、ほかにも女がいるという事を巧く隠す。

『枕草子』で清少納言が言っているんだけど、「ほかの女の話しなんてしないで!ほかの女の話をする男なんて嫌いよ!」と。

現代の女心だってそうじゃない?

たとえばこんなオトコってどう?「オレが前に付き合ってた彼女はよぅ、料理がヘタでさ~。やんなっちゃったんだ」なんてカレシに言われたら。

「やーね、この人こうやって女のことを見てんのね。あたしのことも次の彼女に悪く言うわね」って思うでしょ。

いろいろな古典作品について語ってきたけれど、文章史からの観点からみるのも、興味深いのよ。

今昔物語集の文章は、漢字が大きく書いてあって、助詞や助動詞や活用語尾が小さくカタカナで書いてあるの。

ゴツゴツしていて読みにくいんだけれど、何を隠そう、今の日本語文章の漢字カタカナ混じり文の元祖なんですよ。

そういう文章史上の意義もあるんですね、今昔って。

昔、日本人は文字を持っていなかったので漢字を中国から借りてきて、日本語を書き表そうとした。でも、漢字は中国語を表すための文字だから、すごく不便なのよ。

何とかならんかと、漢字から日本語を表すのに適したカタカナや平仮名をつくった。

平仮名を中心とした文章からは『源氏物語』などのたくさんの平安女流文学作品が生まれた。

平安時代には、いろんな種類の文章が書かれているのよ。

漢字だけで書いた漢文、漢字だけで書いてあるけれど中国人には読めない変体漢文、今昔のような漢字カタカナ混じり文、平仮名文でしょ。

そのなかから日本人はセレクトして、現代の漢字仮名まじり文を日本語の文章にしたのね。

日本人が自在に表現できる文字を手にした頃って、堰を切ったように、たくさんの文学作品を生みだした。それがすごく面白い。

 

 

古典文学と一口にいっても、ひとつひとつの物語が持つ個性は千差万別。

だからこそ、複雑に人生が絡み合う現代にも通ずる“面白さ”が古典に息づいているようです。

 

 

写真:田形千紘   文:鈴木舞

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
大人の生き方マガジンMOC(モック)
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PROFILE

山口 仲美

1943年、静岡県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒業。
東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。
文学博士。共立女子短期大学助教授、明海大学教授、実践女子大学教授、埼玉大学教授、明治大学教授を歴任。
2014年退任。現在、埼玉大学名誉教授。
古典の文体、日本語の歴史、擬音語・擬態語の研究者として知られる。
1987年に第12回金田一京介博士記念賞、2007年に第55回日本エッセ
イストクラブ賞など受賞。
2008年日本語学研究で紫綬褒章。

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