〜連載第42回〜
自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。
依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。
これは、そんな私の半生の話です。
もし母と私が親子でなかったら、母は間違いなく「中村うさぎ」の大アンチだったことだろう。
彼女が侮蔑し忌み嫌っている女の典型である「中村うさぎ」がテレビに出て言いたい放題言ってたり買い物依存や美容整形やホスト狂いやデリヘルのネタを披露するたびに、メラメラと怒りの炎を燃やしていたに違いない。
私は昔、2ちゃんねるの掲示板などで自分のアンチたちを見ながら、不思議で仕方なかった。
どうしてこの人たちは、会ったこともなければ私に何かされたわけでもないのに、こんなに激しく私を憎めるんだろう?
私だって人を憎むが、たいていの場合、その相手は実生活において何か不快なことをされた相手である。
会ったこともない芸能人や政治家を「この人嫌い」と思うこともあるが、わざわざ掲示板に悪口雑言を書き込みたいとまでは思わない。
彼ら彼女らの怒りの凄まじさ、憎悪の激しさに驚いた。
人はたいして知らない相手をこんなに憎めるものなのか?
まぁ、それを言うなら、芸能人の追っかけの気持ちもわからない。
映画やテレビで観た俳優に好感を持つことはあっても、追い掛け回したり出待ちをしたりしてまで会いたいとは思わない。
中学生くらいまでは周りの熱気に感染してコンサートに行ったりサインを欲しがったりもしたが、ものすごく一時的な流行り病のようなもので、すぐにリアル男子の方に関心が向いた。
以来、私は芸能人や文化人に熱狂的な感情を抱いたことがない。
好き嫌いはあるものの、基本的には無関心だ。
愛や憎悪が発生するほどまでには、心の距離が縮まらない。
だって、その人のこと何にも知らないんだよ?
この世に存在しないも同然じゃないか!
母だって、実際に「派手でふしだらな女」から夫を奪われた経験などないはずなのだ。
その女はリアルな存在ではなく、彼女の脳内で創作された「仮想敵」のイメージに過ぎない。
なのに、実在しないイメージだけの存在に、かくも生々しい敵意と憎悪を募らせる。
これはいったい何なのだろう?
イメージだけの存在である芸能人に強い執着を抱く人々と、どこか似ているような気がした。
この世には、リアリティのない相手に自分の勝手な幻想を投影し、リアルの人間関係よりも強い感情を抱く人々がいるのだ。
私にはとんと理解できないが、確かにそういう人々は存在する。
彼ら彼女らは母と同様、リアルでは他者に自分の感情を吐露したりぶつけたりするのが苦手な人々なのかもしれない。
嫌なやつがいても我慢し、怒りや不満を覚えても決して口に出さず、とりあえずその場をうまくやり過ごすことを優先して、自分の感情に蓋をし続ける……母は、そういう人間だった。
自分が勝手に作り上げた理想の恋人あるいは敵のイメージを、ほぼヴァーチャルに近い他者に仮託し、リアルの人間関係よりも濃い愛憎をぶつける人々は、母と同じようなタイプの人たちなのだろうか。
リアルでは持って行き場のない激しい感情が、リアリティのない存在に向かうのか。
面白い現象である。
ジャニーズの追っかけも、ネットで有名人を叩く人たちも、いもしない「夫の愛人」に怨念を燃やす母も、同じ孤独を抱えた人々。
人は他者なしでは生きていけないのに、ひとりひとりが絶望的なほど孤独なのだ。
心から愛せる者も、激しい憎悪をぶつけられる相手もいない。
だが、叶えられなかった愛や言語化されなかった憎悪は、ぶつける相手を求めて、心の奥でマグマのように煮えたぎっている。
脳内に幻想の恋人や仮想敵を形作り、そのイメージを体現しているかのような他者を見つけると、そのマグマは一気に噴出するのだ。
彼ら彼女らには、リアルで溜まった感情の矛先を向けられる相手が必要なのである。
だが、それを現実の他者にぶつけると、彼らの社会生活は崩壊し、必死で築いてきた砂上の楼閣のごとき平穏無事な日常も消し飛んでしまう。
母は本当に、他者を怖がる人だった。
おとなしいから近所の主婦たちから利用されたりマウンティングされたりしても、愛想笑いと社交辞令ですべてをやり過ごしてきた。
彼女たちのいないところでは、愚痴や悪口を私に聞かせていたが、私はあまりいい聞き手ではなかった。
近所の人に関心がなかったので、右から左に上の空で聞き流していた。
母は私に同調して欲しかったのだろうに、「そんなに不満なら本人に言いなよ」などと冷たく突き放す娘だったのだ。
ネットで悪口を書き込む人々も、自分の発言に賛意を求める。
みんな、誰かと悪意で繋がりたいのか。
共通の敵を叩くことで、リアルの孤独から抜け出せるような気がするのか。
だが、言語化されなかった怒りや憎悪は、誰かと共有することで正当化され、ますます増幅する。
それは批判を超えてあっという間に誹謗中傷と化し、ネットではすぐに過激な嫌がらせにまで発展するのだ。
人間関係への過剰な適応と、そこで押し込められた怒りや孤独やルサンチマンが、顔のない匿名の世界でどす黒い怨嗟の集団と化す。
そのからくりは理解できるものの、それを押しとどめる方法は誰にもわからない。
それは戦争のからくりがわかっていても戦争自体をなくすことができないのと同じ理由である。
何故なら、それが人の本性だからだ。
共通の敵を持つことで士気が上がり、愛国心という名のもとに一丸となって敵国人の大量虐殺を正当化する……ネットでの個人攻撃と戦争はよく似ている。
規模は違えど、根底にあるのは「他者への怒りと恐怖」、そこから生じる「孤独と不安」。
そして、それらすべてを解決する手段が「共通の敵への攻撃」による「私の正義の実現(要するに「自己正当化」だ)であると彼らが信じていることである。
我々はみんな、他者を恐れている。
他者は我々を傷つけ、我々のナルシシズムをぺしゃんこに踏みにじる。
他者がいる限り、我々は「神」になれない。心地いい万能感にも浸れない。
浸ろうとしても、無神経な他者によっていつも「おまえは万能ではない」と思い知らされるからだ。
こうして我々は、自分に脅威を与える「他者」という存在を常に憎むことになる。
自分を愛し過ぎることをやめれば、おそらく我々は今よりずっと楽になるだろう。
だが、そんな方法を、誰も教えてくれないのだ。
(つづく)
イラスト:トシダナルホ
編集・構成 MOC(モック)編集部
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