人生100年時代を楽しむ、大人の生き方 Magazine

自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第19回〜

 

〜連載第19回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

「老い」について考える時、真っ先に頭に浮かぶのは母の姿である。

もう何年も前から認知症になって、ゆっくりと、だが確実に進行している。

 

彼女は僅か10分前の出来事も忘れてしまい、突然、自分がどこにいるのか、何をしているのか、目の前にいるのが誰なのか、わからなくなってしまう。

ゆえに激しく混乱し、不安になり、その恐怖と戸惑いを他者への怒りに変換して激昂する。

かと思えば、ひたすらボーッとして、表情のない空疎な顔で宙を見つめていたりする。

 

母の脳内でどんな世界が展開しているのか、私にはわからない。

最初の頃は、彼女がどんどん壊れていくのを目の当たりにしているような気がして恐ろしかったし憐れだったし、見ていられない気持ちだった。

そして、十年か二十年後には自分もこうなってしまうのかと、暗澹たる思いであった。

何故なら、アルツハイマーは遺伝性だからだ。

 

が、今は少し気持ちが違う。

母にとって「忘れること」は、もしかするとある種の救済ではないかと思い始めたからだ。

そう、一度「死」の間際を経験した私が「死」を救済だと感じたように。

 

久しぶりに会う私に懐かしそうに話しかけてくるかと思ったら、いきなり「ところで、あなた、本当に私の娘なの?」などと真顔で問いかけてくる。

今まで懐かしそうに話してた相手を誰だと思ってたんだ!?

先日は、私が結婚していることにも納得せず、「結婚したんなら、どうして知らせてくれなかったの?」などと怒り出し、私と父を大いに困らせた。

ちゃんと知らせたし、知ってたはずだよ!

あんた、何度も私の夫に会ってるじゃん!

などと言っても「いや、聞いてない」の一点張りだ。

母は自分の夫である父のこともたびたび忘れ、「家に知らない男の人がいる」などと近所の奥さんに真顔で相談したりするのである。

かと思えば、数分後にはけろっとした顔で、父の名前を呼んだりもする。

 

そんな母を観察しているうちに、彼女が自由に過去と現在を行き来するタイムトラベラーのように思えてきた。

大昔の娘時代に戻ったり、85歳の自分に戻ったりする。

問題は彼女のタイムマシンが必ずしも彼女の自由意思で時間旅行をしているわけではないという事実だが、それでも大昔の記憶をつい昨日のことのように楽しそうに話してるのを見ると、「これはこれでいいか」という気になってしまうのだった。

誰を忘れようと、どこの時代に生きていようと、本人が幸せならそれでいいじゃないか。

 

我々の人生には「忘れてしまいたいこと」がたくさんある。

それが忘れられないから、苦い後悔や恨みや喪失感を抱え続けて生きることになる。

でも、そのような過去の亡霊をすべて忘れて、一瞬一瞬の「今」を生きていけるなら、それはもしかして「救済」ではないのか?

 

「認知症」が人生の重荷をひとつひとつ捨てていくことだと考えれば、それは記憶や自己の「喪失」ではなく、むしろ過去や我執からの「解放」なのだと解釈できる。

「老い」が「死」への道程だとしたら、脳の老衰による認知症もまた「死」への準備なのだろう。

「死」とは「究極の無」である、と、心肺停止の体験から私は確信した。

いつか、我々は「無」となる。

記憶も感情も感覚も自我も持たない、完全なる「無」の存在となる。

何もかも失くして究極の「無」になるために、我々は老いの過程で余計なものをひとつひとつ捨てていくのだ。

 

今の私は白内障で目がかすみ、歯はガタガタになって固い物が食べづらくなり、足も衰えて歩行が困難になっている。

いずれ耳も遠くなり、頭もぼんやりとして、母のように過去と現在をあてもなくさまようことになるのだろう。

それは現在の私にとっては「喪失」以外の何物でもないが、いつかそのことさえも悲しまなくなり、薄ぼんやりとした夕闇の中で自由にタイムトラベルをする蝶々のような生き物になるのかもしれない。

そこでは、自分が誰なのか、どこにいるのかなどと問う必要もない。

 

「私は何者なのか」をずっと考えてきた私が、ついに「私」を手放す日が来るのだ。

自分が何者であるかなんて、どうでもよくなってしまうのだ。

過去に苛まれることもなく、未来に脅える必要もない。

同時に、過去の栄光に浸ることも未来への希望を燃やすこともないが、そんなものはどうせ泡沫であることを我々は既に知っている。

 

老いを解脱と受け止めよ、と、私は己に言い聞かせる。

歩けないことは不自由に違いないが、もう歩き続けなくて済むのだとも考えられる。

耳が聞こえなくなるのは不便だが、その分、騒音に悩まされることもなくなる。

私は静かに世界を遮断し、自分の脳が生み出す夢の中で生きるようになる。

そう、それはまさに「夢」だ。

時間の流れは脈絡がなく、死んだ人が生き生きとした姿で現れ、自分が何歳でどこにいるのかも曖昧な、くるくると万華鏡のように景色の変わる夢の中に住むのだ。

 

人間が最後に還る場所……それは「私の脳内」なのだ。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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