大編成のジャズ・インストゥルメンタル・バンドDC/PRG、や菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール、最近は小田朋美(DC/PRG他)とポップ・ユニットSPANK HAPPYの活動も行う菊地成孔。
MOCでは「大人が聴くべきアルバム3選」として、菊地にポップス、クラシック、ジャズの「古典」を1枚ずつセレクトしてもらった。
まずポップスの古典としてビートルズの『Rubber Soul』を挙げた菊地だが、クラシックは何をオススメしてくれるのだろうか。
まずは、前回で収まりきれなかった彼の「ビートルズ論」を、もう少しご紹介しよう。
菊地さんはビートルズにおいて、「ポール・マッカートニーが持つクラシックの素養が、彼らの音楽の特異性を生み出している」と分析されました。
では、もう1人のコンポーザーであるジョン・レノンについてはどう評価していますか?
ジョンにはクラシックの要素は全くないですね。
彼は、タイプとしてはフランク・ザッパやキャプテン・ビーフハートと似ている。
つまりブルースの影響から始まり、無調の音楽に近づいていくんですよね。メロディやヴォーカルもそうですが。
ほぼ2音でメロディが構成された“I Am The Warlus”とか、初めてポップスにミュージック・コンクレートを持ち込んだといわれる“Revolution No9”とか。
ポールに比べると、何事も振り切れてますよね。
ポールはバランスの取れた天才から、お互いにとって最高のパートナーだったんでしょうね。
でも、あのバンドは率直にいえばギターが弱いじゃないですか。
今、改めて『ラバー・ソウル』を聴くと、ギターの仕事のしていなさぶりにビックリするんですよ(笑)。
いやいや、そこまででは……(笑)。
ギターのテクニックやサウンドでは聴かせられないから、ポールのベースが動き回り、カウンターメロディの役割を担いつつ、リンゴ・スターと共にグルーヴを出している。
グルーヴと和声進行の美しさは、ほぼベースと歌とコーラスで成り立っているんですよね。
確かに、「Think For Yourself」や「If I Needed Someone」など、ジョージの曲で殊更ポールはベースを頑張るんですよね、曲の未熟さを埋めんとばかりに。
まあ、色んなメンバーがいるのもバンドの醍醐味ではあるので、問題はないんですけどね。
とにかく、古典って面白くて。
こうやって改めて聴いてみると「ジョージ・ハリスンはこんなにギター弾いてなかったのか!」とか、そういう発見もあるわけですよ。
ポールのベースラインを分析した本ってあるのかな。
そういう時って大抵はジャコ・パシトリアスやピノ・パラディーのみたいなさ、ジャズ・ベーシストの本を作っちゃうじゃない(笑)。
ビートルズはバンドだし、みんなバンドでコピーしたいから、ポールのベースだけに特化したスコア本というのはついぞ見たことがない。
確かに。
ポール・マッカートニーのベースのみに特化したスコア本は、見たことがないですね。
あったら絶対に需要ありそうですけど。
ポールのべースは、アプローチ的にはバッハ的な対位法がしっかり入っています。
ジャズのウォーキングベースとリズミックアプローチが違うだけで、和声進行にメロディックに対応しているという意味では同じです。
何れにせよ、ポール率いるビートルズは、クラシックとロックンロールの融合を巧みに行ない、それをポップアートとして成立させた人たち、とまとめることができます。
その最初のピークであり、「ポップミュージックの古典」と言えるのが、1966年の『Rubber Soul』だと。
ビートルズは早回しというか、短い活動期間で、天才的に進化しているので、「サージェント」を完成度の極点に、『ホワイトアルバム』だと、もう混沌とし過ぎてる。
もちろん、“Blackbird”や“Back in the USSR”などいい曲もいっぱいあるけど、聴くのに覚悟がいるんですよね。
『Abbey Road』ですら、やや混沌としている。
その点『Rubber Soul』は“Drive My Car”で始まり、“Michelle”も“Girl”も入っているっていう。
おそらく『Revolver』の方が好きという人も多いと思うけど、僕は『Rubber Soul』の方が豊かだと思う。
でもまあ、ビートルズは古典であるが故に、聴いた人の数だけあるというか。
古典の持つインフルエンサーとしての力ね。
「お父さんが聴いてたから“Hey Jude”だけ知ってる」とか、「好きな映画で“Let It Be”が流れて、あの曲は好き」とかそうやって聴き継がれてきていますよね。
ちなみに、菊地さんが最初に買ったビートルズのアルバムは何ですか?
『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』です。
で、そのあと赤盤(『The Beatles / 1962-1966』)と青盤(『『ザ・ ビートルズ/1967〜1970』)を買った。中学1、2年の頃だったと思います。
とにかくポールは天才で、その上長生きしているというのが素晴らしいですね。
天才っていうのはジミヘンのように急逝してしまうイメージが、ロックの場合は多いですけど。
「世の中と折り合いがつかなくなった」とかね。
でも、ポールは世の中とメチャクチャ折り合いのついた天才だからすごい(笑)。
「サー」の称号まで持っていますからね(笑)。
ちょっと、ピカソに似ていませんか?
パブロ・ピカソは91歳の時に死去しますが、それまでに数えきれない作品生み出しています。
ポールとも交流があったようですし。
確かに、ピカソっぽいですね。
仰ったように、イギリスという国が守った才能でもある。
では、続いてクラシックの古典ですが。
この話の流れでいくと、やっぱりバッハがいいかな。
グレン・グールが弾く『平均律クラヴィーア曲集』の第1巻と第2巻。
バッハが、「平均律」という、僕らが今使っている音階。
1オクターブを12分割にしたものがまだなかった時代に、それを想定して作った曲集です。
現在の「調性音楽」つまり、無調のノイズ音楽や、様々なサンプルネタをレイヤーしていくヒップホップとは違って、ちゃんとキーのある音楽の
「あけぼの」なんです。
それを、ピアノの名手であるグールドが弾いている。
クラシックやっている人は、絶対に持っておかなければいけない作品ですね(笑)。
バッハの重要性ついて、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?
クラシックのみならず、あらゆる音楽が「バッハ以前/以降」に分かれるし、バッハの呪縛から逃れられる音楽は、未だに見当たらない。
ビートルズだってそう。一時期の音楽家は、「我々はバッハからどのくらい自由になれるか?」ということでアヴァンギャルドな手法や、エクストリームな表現へと向かうわけだけど。
その時「脱原発」ならぬ「脱バッハ」っていうんですよね(笑)。
つまり調整から逃れるということですよね。
そう。それは20世紀の音楽が目的としたことで、脱バッハはこの時に始まっている。
シュトックハウゼンやジョン・ケージ、モートン・フェルドマンといったスターがそこに入るわけですが。
でも、ポップスの耳は、いくら脱バッハを試みたところで、結局バッハに戻ってしまうという。
孫悟空がお釈迦様の掌の上で逃げ回るようなもので(笑)。
ただ、ケージあたりは脱バッハに成功しているとは思いますが、ほとんどの人にとってバッハは神様なんです。
「造物主」なので、今だに我々の耳は、長調、単調といった概念や、転調した時には「転調した!」と感じるようになっている。
それって本当に不思議なことですよね。
もちろん、バッハが1人でそれを築き上げたわけではないですが、ヨーロッパ総体が作り、バッハがそれを代表作で象徴化したとも言える。
ヨーロッパのカルチャーとして「調性音楽」を、世界中に広めた。
キーボードの「キー」は調のことであって、現在のDTM文化にまで相変わらず影響を及ぼしつづけているわけです。
「バッハなんて、あまり好きじゃないね」なんていう人がいたら、その人は音楽がわかっていないか、よほどのひねくれ者だということになる(笑)。
菊地による「ビートルズ論」後半は、ポール・マッカートニーの「ベーシスト」としての特異性についても話が及ぶ、非常に興味深いものだった。
また、クラシックの古典として挙げてくれたグレン・グールが弾く『平均律クラヴィーア曲集』の第1巻と第2巻は、我々の耳が「調性音楽」を普遍的なものと認識するきっかけの一つであったことを思い起こさせてくれる重要な作品であることも知った。
さて、いよいよ最終回では、ジャズの古典を紹介。
ジャズ・ミュージシャン菊地にとっての「ジャズの古典」とは?
写真:杉江拓哉( TRON) 取材・文:黒田隆憲
編集・構成 MOC(モック)編集部
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