「現代人の論語」や「真実の『名古屋論』 トンデモ名古屋論を撃つ」などの多数の著書を世に送り出している評論家の呉智英氏。
漫画への造詣も深い呉氏に、知識人論から漫画評論まで3回に分けて語っていただきます。
第1回目では「情報社会における“嘘”とは何か」にテーマを置き、人生100年時代を生きるうえで身に付けたい言語感覚についてお話しを伺います。
フェイクニュースが”増幅する”のはなぜか
──ご著作の「真実の『名古屋論』」では、流言飛語やフェイクニュースを問題にされていました。
一般人が疑いを持たずに情報を受け入れて、さらにそれらが増幅するということがよくありますが、呉さんはどのようにこの状況を見ていらっしゃるのでしょう?
そういう例は過去でも現代でもいくらでもあります。特に現代ですと、それこそインターネットやツイッターなどはフェイクニュースは広がりやすいと思います。
一つにはまず関門がない。過去にも、そうしたことがマスメディアでも起きる可能性はあったし、実際に起きてはいるんですけど、それでも例えば新聞の素人の投書でも、最低限デスクのチェックがあって、編集長の決済がないと載らないわけですね。
もちろんプロになると、何段階もあるわけで。それが雑誌として論文が載る、あるいは単行本の形になるならば、その間にハードルがあるわけです。
ところがツイッターやブログは何でもいくらでもできる。手軽にできちゃう。そのためにフェイクが集中して、炎上というような現象が起きるわけです。
──チェック機関がないというのがやはり一番の原因ということですか。
そうですね。ただ、フェイクニュース、別に言い方すればデマのようなものがあるのは仕方ないですよ。
ただ、現代はそういう現象が頻発しやすくなっていることは間違いないですね。
──ネットはみんなが自由に発言できて、その中に玉石混合でいろんな情報があります。
「真実の『名古屋論』」で問題にしていらっしゃるのが、岩中祥史氏のように、プロの編集者が付いているにもかかわらず、「名古屋人と中国人」のような「トンデモ本」が出てくる(「名古屋人と中国人」の前提となる「中国人」は内村鑑三の小文に由来するが、内村は「中国人」のことを「日本の中国地方に住む人」としており、著者の岩中氏は「中国人」のことを「チャイニーズ」であると誤解している)。
出版も含めて、チェック自体が甘くなっているということなのでしょうか?
言いにくいことだけれども、やはり小さくていい加減な出版社と大手の出版社は違いますよ。
大手は校閲という部署がある。校閲部はある意味生産していないわけだから、稼いでいない部なわけです。
稼いでいないのに持てるというのは大手が余裕があるからできることでしょ。
何段階もチェックを入れることができるんですよ。
──校閲は社内で抱えなくても外注もできますよね。
チェックがないままに出版される事情は…
それも、岩中が出している大抵の本はもともと小さい出版社が出しているんだよ。
外注で校閲すると言ってもその余裕がなかったり、いい校閲はしかるべきお金を取っているわけだから、仲間内でチャチャとやっちゃおうみたいなことになるわけですよ。
小さく頑張っている出版社のことを悪く言いたくはないんだけど、そういうことが起きるんですよね。
──ちなみに「真実の『名古屋論』」を書かれた後に、岩中氏から何か反応はあったのですか?
何もないよ。白旗さえ挙げない。雲隠れしていないところがまずいんだよね。
反応したら俺の思うツボだというところが分かっているんだよね。だから何も言ってこない。
とにかく「中国人と名古屋人」は酷さがね…(笑)。
1字誤植があるとかね。
それは私の本でもいくらでもあることなんだけど、こんな大前提から間違って一冊書くというのはちょっと珍しいですよ。
支那という言葉について思うこと
──「支那」という言葉についても書かれていますね。
もともと日本は「支那」と呼んでいたけれど、「支那は蔑称だから中国と統一しましょう」という通告をされて、それを日本に対してのみ言うのは差別的だという指摘ですが、非常に面白いなと思います。
当然歴史学者は「支那」という言葉を使わなくちゃいけないけれど、今、普通にパソコンに入れても変換されないはずですよ。
ワープロの時代に新聞社の記者たちが持っているワープロでも変換できなかった。
排除されているから「支那」が出なかったんですよ。目に見えない形での言論規制だと僕は思っています。
そもそもは国の通達ですよ。日本の占領軍が全部主権を持っていたから、ありとあらゆるところで言論や表現についてのいろんな規制をしたわけです。
典型的には、例えば原爆被害の報道だって、戦後何年かはできなかったんです。
一般新聞でも、米軍の兵隊が婦女子に乱暴したり泥棒したりすることを書けなかったので、「黒い顔の大男が婦女子に乱暴した」と書いている。
今は黒塗りだの何だので別の事件が起きているわけなんだけど(笑)。
戦後の10~15年間は「支那」で何で悪いんだという記事が出ていたんですね。
そのうち段々じわじわ定着して、ワープロソフトまで基本「支那」が変換できなくなっている。
なんとなくそれが悪い言葉になっているけれど、ものすごく単純なことですよ。
世界中で、中華文化圏以外全部「支那」という言葉を使っているわけ。
侵略とは何の関係もないんです。イギリスは1997年まで支那領域を侵略していたし、ポルトガルは1999年まで侵略していた。
彼らは「チャイナ」とか「支那」とか「シーナ」とかいろんな風に呼んでいた。
支那人の中華思想があって、自分たちが世界の中心だ、まぁ世界といってもそれはアジア地域だけのわけだから、ヨーロッパには言えないんだよね。
で、基本的には日本だけに言っているんだ。日本の場合は強制的に、威嚇してそれを言っているんだよね。
そのおかげで、日本では2次被害・3次被害ができてきた。
典型的なのは、中国食品工業が倒産したという事件。
今から7,8年前ぐらいに、支那から危ない食品が輸入されていたことがあったじゃない。
ダンボール餃子とか言われてさ。それ自体もフェイクかもしれないけれど、まぁ殺菌が不十分だから危険な微生物が入っているとか被害が出ていた時期があって。
中国食品工業というところがそれを輸入しているんだろうということで不買運動が起きて倒産しちゃったんだよね。岡山県に本社があるのに。えらい迷惑なんだよね。
広まり出すうちに嘘が増幅していくんです。「支那」はなぜいけないかというと、「国を支配する、我が国を支配する」という意味だという噂が広がる。
那と邦は全然違うでしょ?そういう、全くメチャクチャの話が広がってくる。
何も考えていないから、嘘が増幅していく。表音的に支那を当てているだけで意味は全くないんです。
表音的なことであって、表意的な意味はないんですよ。
中国という言葉自体も多くが誤解しているんです。
中華思想を表しているから中国なんです。周りは夷狄の国であるという意識が彼らの中にはあるんだよね。
ところが、自分の国が一番だっていうのは世界中の誰でも思うわけで、例えば、日本書記を読むと、中国と新羅がどうした、中国と高麗がどうしたという文章が出てくるんですよ。
「新羅中国に事えず」、つまり中国のいう事を新羅が聞かなくなったとかね。この中国というのは日本の事なんです。
だから中国というのは、日本でも2種類の使い方がされているんです。
中国地方という意味と、日本の事を日本人が言っている意味。
これは我が国という意味なわけ。
つまり、中国というのは一種の愛国的な言葉。
我々が世界の中心にあるんだと、愛国の表現として中国と言っていたんですよ。
──なるほど、そういう意味だと日本書記を誤読している人も多そうですね。
日本書記は全部漢文で書かれているから、ふりがな振られていないんだけど、ある時から訓読みが出てきて、中国と書いて訓を振ると「みかど」と振るんだよね。
こう言うことをみんな何も知らないんだ。別に日本書記にはいくらでも出てくることなんだけど。
──「真実の『名古屋論』」では名古屋の知られらざる歴史を紹介しています。
継承されていないんだよね。この本の意図はそういうところにもある。
表面的に面白い話も、セックスと祭りのところに書いてある、あんまり行政の広報に載らないようなところも含めてね。
全然恥じるべきことではないし、名古屋だけの奇習じゃなくて、日本中に世界中にあること。その全体の中になぜこんな祭りがあるのか、この祭りはどういう意味があるのかをみんな知るべきだし、考えなくてはいけないよね。
汪兆銘が名古屋で死んでいるというのは意外とみんな知らない、とかね。膨らますともっとでかい本になっちゃうから抑えているし、それについての専門書は出ているんだよね。
ただし、そういう専門書はあってもみんな知らなくて、それをあんまり読まないのは事実だよ。
あとは鈴木朖(あきら)に関しての研究書自体はあまり出ていないからなぁ。専門家はいるんだよ。
名古屋で国文学やっている偉い先生がいるんだけど、その人と話した時も、「う〜ん、これ研究書出してもどうせ誰も買わないしなぁ〜」って。
そう言われてみればそうなんだけど(笑)。
しょうがないから俺がちょこちょこ重要人物がいるんですよってことをね、この本で紹介している。
たった一字の間違いや、たった一語の間違いから、組織や歴史の齟齬が見えることがある。
私たちを驚かせるのはいつだって「知られざること」。それを読み解くヒントをもらえた気がしてきました。
インタビュー第二回では、『論語』に焦点を当てながら、さらに言語感覚を研ぎ澄ませていきます。
写真:田形千紘 文:五月女菜穂
編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
大人の生き方マガジンMOC(モック)
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