昭和のテレビ界に登場し、お茶の間の人々を笑いの渦に巻き込んだ萩本欽一氏。「視聴率100%男」の異名をとるほどの爆発的人気を博した彼を、ある人は親しみを込めて「欽ちゃん」と呼び、ある人は畏敬の念を表し「大将」と呼ぶ。これほどまでに愛されるコメディアンは、そうはいない。
66歳でテレビ番組の70kmマラソンを走り切ったかと思えば、70代で大学合格を果たし、今や現役の学生として邁進中。「僕、歳を取っているということになかなか気がつかなかったんだぁ!」と笑い飛ばす表情、よく通る声は、あの頃と変わりありません。
――今年で77歳となる萩本さん、いえ今回のインタビューでは大将と呼ばせていただきます。世間でいうと定年退職の年齢を越え、人生の大ベテランである年齢です。「自分は歳を取った」と感じたのはどんな瞬間でしたか?
70歳を過ぎた頃、階段でつまづいたの。それとね、お肉を見ても食べたくなくなっちゃった。いま一番ほっとする食べもんというと、お茶漬け!
栄養をつけなきゃいけないと思うからか、食事というとみなさん色々出してくれるじゃないですか。二、三日前は、酢豚、シラスをパラパラっとかけた大根おろしという献立だったけど、僕の中ではシラスがメインディッシュ。酢豚は豚肉一個と玉ねぎを半分くらい食べて、あとは残したねぇ。
そういう風になってきて、歳を取ったなぁと思ったんだ。だから大学に行くことに決めたの。
――2014年3月に明治座での公演を最後に舞台から降り、翌2015年には社会人枠で駒澤大学仏教科へ入学。74歳にして大学デビューを果たしました。
以前から大学に行きたいな~という興味はあったの。50歳になったあたりで、行ってみようかなと思ったことはあるんだけど、(当時の僕に)元気がありすぎたんだね。『大学に入っても面白そうじゃないな、こんなに元気なら大学生についていける』と思った。
と・こ・ろ・が!60歳になっても『あんな若いのに負ける気がしない』と、まだまだ元気だった。70歳になってようやく人の名前が出てこなくなるし、足元はつまづくし。
僕は、自分が負けそうなところにこそ気づきたいんだ。
そこから行動するの。自分の人生で、新しい人に出会ったような感覚だよね。『コ~レは面白そうだな!』と気づいて、学校に行くことに決めたの。
大学に通い始めてみたら、記憶力が抜群に良くなった。僕がそう感じたってだけじゃないよ。脳の検査をしてもらったら、「脳内の記憶するところが30代と同レベルになっています」って。反射作用や物事を判断するだとか、脳のほかの仕事をするところはすべて衰えているっていうのに。
――年齢を重ねると脳の衰えをまざまざと実感することはよくありますが、そんなに活性化するとはすごいですね。
学校の試験ではたくさん覚えなきゃいけないことがあるから、記憶するところは良くなったみたい。僕は今、入学して四年目になりました。そりゃ若ければ三日で覚えるところが、倍の六日必要になったりはしたけどね。時間はかかっても、試験でそれなりの点数はちゃんと取れているんだよ。
歳を取ると「だんだんボケてくるな~」と老いを自覚する。僕はそれを止めようとはしないで、新しいことを覚えていくことにしてみたんだ。
脳は最初、すごく嫌がったね。「イマサラ記憶シロトイッタッテ、限界ナンダカラモウイイジャナイカ!」と脳が抵抗するの。でも、しつ~こっく何度も何度も勉強していたら、どんどん新しいことを覚えるようになっていった。
若い頃の自分とは違う、70代の自分に合う方法が必要なわけ。「自分に一番近い言葉」を使って覚えていくのがいい。たとえば英単語を全部漢字に連想させちゃうの。「Unfortunately」なら「アンコウを四か所からちゅうちゅう吸ってたら無くなっちゃった」っていう風。
――(笑)。自分に近い言葉を駆使して、新しい知識を自分の方へと引き寄せよう、としたのですね。
僕でいえば、「笑い」というところに置き換えることは多かったね。自分が一番親しんでいるものに置き換えて覚えていくと、いつまでも忘れないもの。
おじいちゃんに買い物を頼むとするでしょ。「おじいちゃん。買ってきてほしいのはニンジン、それからナスを二つ」とお願いしても、八百屋さんに着いたところでおじいちゃんは忘れているよ。
そういう時はこう言い換える。「おじいちゃんのちゃんちゃんこに似たニンジンと、ナスは右手と左手に一個ずつ!」そんな風に、自分の身近な言葉を足すと覚えていられるもんだよ。
――自分の脳との付き合い方で、意識している習慣はありますか?
一日、一日、生きる工夫をしていきたいね。今まで通りにしていたら、脳って後退していくの。それってまるで自分の人生を持っていかれていく感じがしない?
大学の授業では、出席をとるのにスマホを使うんだ。黒板に書かれた数字を、トントンと指でスマホに入力して、ポンと押せば出席になる。「操作が出来ない人、手を挙げて」と先生が呼びかけると、三人くらいの手が挙がる。そういう学生には紙をくれるから、そこに名前を書くの。
スマホでの出席、いまだに僕は覚えようとしていないんだぁ(笑)!大学生活四年目になるんだから覚えりゃいいのに。どうして覚えないのかって?すべてをみんなと一緒のやり方でしようとすると、人間が一緒になってしまうでしょ。
僕が譲れないのは、「みんなと一緒のことには参加しない」という生き方。みんながやらないことに、とてつもなく進んでいきたい。
――「みんなと同じことをしない」。このポリシーは、自身の芸能界での生き方にも通ずるものですか?
競争でいうと、いつも人間の少ないところでやってきたよ。映画スターになりたくて芸能界に入った僕は、すぐに『無理だ!』と思った。そして『芸能界で最も人が少ない分野はどこだろう?』と、(自分の生きる場所を)探し出したんだ。映画を観ていると、主役じゃないんだけどちょこっと笑いをする人がいるのに気がついた。それがコメディアンだったんだ。
――コント55号(萩本欽一氏と坂上二郎氏のお笑いコンビ。活動時期1966-2011)を結成した後、多数の映画に出演されましたから、まわりまわって夢を叶えましたね。コメディアンとしてテレビを席巻し、日本中が“欽ちゃん”を知っていた。超有名人です。
そうね、夢は叶えられたのよ。コメディアンになったばかりの頃、先輩に「僕でも有名になれるんですか?」と聞いてみたことがある。「なれるよ。人が少ないんだから」と返ってきた。当時、有名になるのは順番だったんです。ですから僕は努力して有名になったんじゃないの、順番。ところが今は大変ですよ。お笑いする人の数が増えたもん。努力しないとダメだろうね。
僕は高校を卒業してから東洋劇場(浅草に所在する演芸場。多くのコメディアンを輩出)に入ったものの、たったの三か月で「才能がないからやめたほうがいい」と宣告された。それで僕は『もっともだな~!やっぱり無理だよなぁ・・・』って思ったんだ。
――著書でも「自分には才能がない」と繰り返していますね。ネガティブともいえる自己評価を抱きながら、コメディアンの道を続けられたのはどうしてでしょう。人間、成功できることへの確信や安心感がないと、なかなか継続できません。
『自分はなぜみんなと同じように出来ないんだろう』と考えてみたの。ダメな僕は、みんなから後れをとるわけだよね。舞台に出ても、みんなはセリフを言えるのに、僕はアガっちゃう。踊り子さんと踊ることになっても、僕だけ踊れない。
踊れないのはなぜだろう、と考えるの。そして思い当たった。才能がないからじゃない、リズム感がないからだ。もっと何かしなきゃいけないはず。そんなわけでドラムを習い始めたんだ。半年が経つと、ドラムを叩けるようになった。ドラムを叩けるようになると、あっという間に踊れる自分がいた。
人より後れているというのは、才能がないのとは違う。“才能が遅れている”ってだけなんだ。そう思った時、僕は“萩本欽一の方程式”がわかった。
みんなと同じ方法で夢へと向かっていくと、僕はどん尻になるみたい。進もうと思ったら、必ず一歩下がること。一歩進んで二歩さがる♪そして、何が後れているのか、何を足すとよくなるのか考えてから、僕は一線に並ぶことができるんだ。
――自分なりの方程式の発見とは、人生におけるキーワードですね。東洋劇場での下積み時代に、東八郎(コメディアン。1936-1988)さんなど昭和を代表とする諸先輩方の芸に間近で触れていらっしゃったことからは、どんな影響がありますか?
芸というのはね、手本を見せられると出来なくなるんだ。そういう意味ではサラリーマンって可哀そうだよ。完成品を見せられて、「この通りにやれ」と要求される。それはきっと、とても息苦しいことだよね。
「こうするんだ」とお手本を見せられてしまうと、その通りに出来るようになるまでに十年はかかるし、その間ず~~っと悩み続けることになる。僕はそういうのはしたくないし言いたくない。
若い人たちによく聞かれるんだ。「(大将は)いつ芸がうまくなったんですか?」と。でも、僕自身に覚えがない。
お仕事って一生懸命努力すれば腕が上がることがあるけど、芸の世界は違う。同じことをしていたら平行線があるだけ。それがある時、うまくなっていることに気がつくの。垂直に上へ、昇っている。
つまり、うまくなるっていうのは、その瞬間へ行くかどうか。そして、それは運なんだ。
――人生100年時代、私たちにはまだまだ時間があります。ということは、自分なりの人生の方程式を見つけるチャンスは、誰にでも巡って来るかも…!ですが、そういったターニングポイントが来たことに自分で気づけるものなのでしょうか。
気づいたときには出来ているんですよ。『いつ出来るのかな~』と思っているうちに、いつの間にか出来ている。
僕は22歳で劇団を旗揚げしてみた。それまでは自分なりの笑いをしたくとも、たくさんいる先輩たちに「素人が笑いをやるんじゃない」と言われていた。先輩の手前、アドリブで笑いをとった経験がなかった。「生意気だ」と先輩に殴り飛ばされないように、真面目にやっていたんだね。
高校を卒業して東洋劇場に入ってから四年が経ち、僕は22歳になっていた。どのくらい自分は笑いを出来るようになっているか、ということを知りたくて座長をやってみた。すると割とぱかぱかウケてね。笑いって答えがすぐに出るでしょう。ウケているときは、お客さんがワァ~って笑ってくれるもん。『(この四年の間に)けっこう覚えたんだなぁ』と気がついたんだ。
――会社でもそういう瞬間ってありますね。右も左もわからない新米から、いつの間にか仕事がわかるようになっている。このプロセスを進むうえで、どんなことが鍵となるのでしょう。
若い人に伝えるならば、「主役」には早くなった方がいいよってこと。主役になると、ああしたいこうしたいという要求を好きに発言できる。二番手はその半分、三番手は三分の一。毎日生きていくんなら、早く主役になるのがいい。
そしてもうひとつ。どんな小さなことでもいいから「一等賞」になること。何も学校で一番になろうだなんて、大きなところで競わなくたっていいんだよ。クラスで一番を目指してみようか。ううん、もっと小さくてもいい、クラスの中の男の一番。もひとつ小さくしてみよう、次はクラスの座席の列で一番。さらに小さくするのもいいね、座席の前後左右の中での一番。
どんどん小さくしていいんだ。でもまだ一番になれないなら、隣の奴と自分とで一番はどっちかな。そこまでしても一番になれなかったら?それはね、隣をかえればいいんだよ!
――(笑)。あっ、視野が広がる!
そうしていれば、いつかは勝つ。「勝つという味わい」をどこかで抱いていなきゃ。
僕は大学に入学して一年目、試験をぶん投げました。大学側に呼び出され、理由を尋ねられました。どうやら出席すれば40点にはなると言う。試験を受けて20点をとれば合計60点、単位が取れる。試験では20点をとれさえすれば単位はもらえるんだから出なさいよ、というわけ。
でも、僕の人生には勝つか逃げるかしか選択肢がないんです。勝つか負けるかの勝負はしたことがない。負けると思ったら逃げる!
試験もそう。だから大学側には「100点が取れないと思ったから、逃げたんです。僕の人生なんですから、学校の生き方に当てはめるなんてことはしません」と言ったんだ。
逃げるという言葉にはネガティブな印象があるだろうって?あのね、人生には“勝つ”しかないの。そして、負けを経験していると癖になるよ。負け癖をつけた奴が一番始末が悪い!
――ソロでの活動をスタートした後、大将の番組は軒並み視聴率30%を越え、ついた異名は「視聴率100%男」。トップに躍り出ることができたのは、負け癖をつけなかったからですか?
トップに躍り出ただなんて気持ち、持ったことないよ。ずっ~と踊っているつもりだから、うまくいったんじゃないかしら。
自分以外に30%の視聴率をとる人間がいない、だなんて思いもつかなかった。レギュラー番組を一本持つことは誰にでも出来るだろう、と思ったから二本目を始めた。二本なら誰でも出来ると思って、三本目を始めた。三本だって…と思い、四本目に取り掛かろうとしたら「スケジュールがありません!」と止められた。
そこで初めて、僕は高視聴率をとっているらしいと知ったの。取材やなんかで言われるからね。「視聴率30%をとる秘訣は何ですか」「視聴率100%男と呼ばれていますがどんな気持ちですか」って。
――“勝ち続けている自分”に、ハッとしたんですね。
すると「サァ、次は40%だ!」だなんて言われちゃった。でも40%だなんて視聴率、とれると思う?
――40%とは、オリンピック並みですねぇ!
でしょ!僕ひとりでオリンピックなんて不可能なんだから、それは逃げるだろうって話(笑)。そして番組全部終わらせたの。結局逃げたんだね。「さらに上、もっと上」を目指すなら、どこかで逃げる選択をしないと。ただし逃げたからといって負けじゃない。人生の途中で、作戦を練る時期としたの。
――1985年3月、レギュラー番組への出演を突然とも思えるかたちで降板されましたね。人気をキープしたいとは思わなかったのでしょうか。
キープは人生で一番つまらない!前へ前へ、前進するのが面白いんだよ。あの頃の僕は一気に後退してみることにしたけど、そうすれば次は前進するしかなくなるでしょ(笑)。
もう一度言うよ、逃げは負けじゃない。逃げてから、いずれやっつける。やがては勝つんだ。
負け癖と聞いて、ドキリとしたあなた。まだまだ勝ちを諦める時期ではありません。二歩下がったり、闘うフィールドを変えてみたり、打つ手はこんなにたくさんある。そして勝ちをつかみ取りましょう。逃げた人間だって、堂々と勝利の味わっていい。あなたの人生、主役を張れるのはあなた一人しかいないのだから。
次回のインタビューでは「欽ちゃんファミリー」を育てた萩本氏による、仲間と共に掴む成功の秘訣をお聞きします。
写真:田形千紘 文:鈴木舞
編集・構成 MOC(モック)編集部
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