~由美子の場合【1】〜
人はどうして不倫という名の恋に落ちるのか、そしてその恋はどういう展開をたどるのか。
女性たちの気持ちは、そして男性たちの心は……。
実話をベースにした不倫小説をお送りします。
夫が浮気をしている。
由美子がそう確信したのは、夫の帰りが遅くなったり、ときに外泊して「会社に泊まったんだよ、忙しくて」と目をきょろきょろさせながら嘘をついたりしただけではない。
ぼうっとしていたかと思うと、急に夜中にスマホをいじり、ひとりにやにやしていることもある。
それらを総合すると浮気しか考えられないのだ。
由美子はずっと静観していた。
自分が騒ぎたてたところでどうにもならない。
そもそも結婚当初から夫の隆史とは甘い記憶がない。
ふたりで家庭を築いてきただけだ。
そこに家族としての「つながり」はあるが、それがどの程度の深さなのか由美子にはわからなくなっていた。
孝太は落ち着いて大学に通っている。
なんの目標もなく通っていたようだが、最近は司法試験を受けるのだと言って、講義とアルバイトの合間を縫って大学の図書館でも勉強しているようだ。
二回り年上の彼女との仲がどうなったのか、由美子は尋ねてはいないが順調なのかもしれない。
夫は逆にここ数日、様子がおかしかった。
ひょっとしたら浮気していた彼女にフラれたのではないかと由美子は考えている。
気持ちを奮い立たせようとしているのに気力が戻らない。
夫はそんなふうに見えた。
さて、私はどうしたらいいのだろうか。
家族といえども、それぞれがそれぞれの事情を抱えて生きている。
自分も単なる主婦のままでは終わりたくない。
女としても人間としても、もう1度生き直していい時間がやってきているのではないだろうか。
女50歳、ここから生き直したい。
そう考えた由美子は、仕事を探し始めた。
だが、専業主婦歴の長い由美子にそう簡単に仕事が見つかるわけもない。
ある日、彼女はため息をつきながらスマホで仕事を探していた。
ふと目についたのが、「人妻募集」だ。ヘルスと書いてあるが、店舗型だから安心ですとある。
こんな仕事もあるのか、自分の年齢でもできるのだろうかと由美子は目を皿のようにして読んでいく。
風俗の仕事というが、何をするのかわからない。
だが、紹介ページにはいいことばかり書いてある。
誰かにバレることはない。
どこかの会社に勤めているかのようにアリバイを作ってくれる。
とはいえ、客に知り合いが来たらどうするのだろう。
50代も大歓迎というのは本当なのだろうか。
読んでいるうちに由美子は、自分の女としての勝負を賭けたくなる。
夫しか知らない自分だが、女としての価値があるのだろうか。
メールを出してみると、すぐに返事が来た。
電話をかけ、その日のうちに面談に行くことにする。
風俗の面談と大げさに考えるのはやめる。
何が起こるかわからない。
だが、新しいことにチャレンジしたかった。
最寄り駅から電話をかける。
道順を説明され、その通りに店に向かったが、さすがに店に入るときには膝ががくがく震えた。
引き返したいとも思ったが、「取って食われるわけじゃない」と自分を励ます。
「こんにちは。ようこそ」
30代後半とおぼしき男性がにこやかに迎えてくれる。
「きれいなお店ですね」
店長室に入って、なにげなくそう言うと、店長だと自己紹介した彼は、にっこり笑った。
値踏みされている感じがしたが、感覚的にイヤではなかった。
女としての値段をつけてほしいとさえ思う。
「主婦の方ですか」
左手薬指に馴染んだ指輪を見ながら、彼が言う。
「はい」
「どういった仕事か把握されてます?」
まじめな主婦に見えるのだろう。
体から、そういうものがにじみ出ているに違いない。
そう思うと由美子は多少、忌ま忌ましさを覚えた。
「正直言って、よくわかりません。ただ……」
店長は問い返すでもなく、由美子の言葉をゆっくり待つ。
「女として勝負してみたいんです」
言葉に出すと、すごいことを言っているような気がして、由美子は恥じた。
「素敵だと思います」
店長はさらりと言った。
下に見られた感じはない。
いろいろな動機でやって来る人を見ているからだろうか。
何を言ってもこの人は受け止めてくれそうだと由美子は感じる。
どういう仕事なのか、どうやってやるものなのか。
店長は簡単に説明を始めた。ホテルへ行くのとは違い、この店舗の中での仕事なので、身の危険を感じたらすぐに部屋から飛び出すか部屋の中にあるブザーを押せば誰かが駆けつけるそうだ。
「今までそんな危険な目にあった女性はいませんけど」
店長は自信をみなぎらせていた。
「うちとしては、飯村さんにぜひ入店いただきたいですが、どうですか。
体験入店をしてみませんか」
「体験?」
「ええ。
実際にお客様に接してみて、できるかどうかご自身で確認していただければ」
「でも私に当たってしまったお客さん、かわいそうですよね。プロじゃないのに」
店長は笑い出した。
「僕としては飯村さんに満点を差し上げたいくらいです。あなたは自分ができるかどうかより、まず相手のことを考えている。そういう優しさ、サービス精神が大事なんです、この業界は」
「サービス精神じゃありません。事実ですから」
きまじめに言い返すと、また店長が目を細めた。
女であることの楽しさ
なんだかんだ言いながら、由美子は結局、そのまま体験入店をすることになった。
店長が極上の常連を呼んでくれるという。
「太田さんというのですが、この近くでお店をやってらして、優しくていい方ですよ」
30分後にその太田が来るという。
由美子は待機室で待つことになった。
借りたランジェリーを着て部屋に入ると、他に女性がひとりいた。
「あたし、ミエコ。よろしくね」
30代後半だろうか。
肌が若い。
「由美子と言います。よろしくお願いします」
「今日からなの?」
「いえ、まだ。今日は体験入店で」
「あ、そう。この仕事、はじめて?」
「ええ。できるでしょうか」
「できるわよ。結婚してるんでしょ。夫にするのと同じ。しかも本番ナシ。楽チンよ」
ミエコは笑った。
「夫とはもう10年以上してないし……」
「あなた、まじめねえ」
夫とセックスしたのはいつだろう。
「しかも私、夫しか知らないんですよ」
ミエコはさらに笑い出す。
「あなた、いい人ね。気に入っちゃった。体験入店終わったら、本格的に仕事したほうがいいわよ。あなたみたいな女性、きっとここに来るサラリーマンに好かれるわ」
「サラリーマンが多いんですか」
「そうね、ほとんどサラリーマンかなあ。たまに自営業の人もいるけど」
「太田さんって知ってます?」
「あ、体験で太田さんが来るのね。あの人に何でも聞くといいわ。教えてくれるから。風俗の生き字引みたいなおっさんだからね」
「私でも働けるでしょうか。トシだしきれいでもないし」
「大丈夫よ。年齢なんて関係ないの。ここに来る人たちの多くは、癒やしを求めてるんだと思う。みんな寂しかったりつらかったりするからさ」
「性欲がたまって来るわけじゃないんですか」
「そうねえ。性欲たまってるだけなら、自分でしたっていいわけでしょ。なのになぜお金を払って女性たちにしてもらうかってことよ」
お金を払って性欲を満たすというわけではないのか。
由美子は、夫はなぜ浮気するのだろうと考えていた。
夫も相手の女性にお金を使っていたりはするのだろう。
浮気と風俗に行くことの間に、どのくらいの違いがあるのかわからない。
店長がノックをして入ってきた。
「太田さんが見えましたよ」
反射的に由美子は立ち上がる。
「がんばってね」
ミエコがゆるゆると手を振った。
(つづく)
イラスト:アイバカヨ
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編集・構成 MOC(モック)編集部
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